"打・GAKUDAN四季"カテゴリーの記事一覧
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打・GAKUDAN四季の本番までの練習はあと7回。つなげてみると一週間だ。
相変わらず皆はマイペース。そんな中、真剣に練習をしている人がいる。しんちゃんだ。
今までは舞台の上でただリズムをとるだけだった。今度は初めて舞台で音を出す。長い付き合いのOT本間先生作成のソフトを使い(しんちゃんにでてもらおう2「本間先生」)、舞台で『荒馬の夢即興曲』のなかで、馬が風を切って走る音「ウィンドウチャイム」を担当する。また、しんちゃんが一日中聴いている四季のレパートリーの中でも、一番四季の代表と言っていい曲、『盆踊り』の太鼓を担当する。
荒馬の夢即興曲は、ドンと何度もやってきたが、今度は四季の新曲として四季のパーカッションを入れて演奏します。トラックレコーダーで地道にデモ音源を作りました。
盆踊りには楽器のソロパートを順番に演奏するくだりがある。ここでしんちゃんのソロが舞台に響く予定だ。
パソコンは本間先生から借りたノートパソコンで、ウィンドウズを起動するためのスライドボタンがついているといえば、かなり古いことがわかる。操作を長くしないと前の画面に戻るという不具合がある。
しんちゃんのお母さんは病気の上、介護や家の仕事で恐ろしく忙しい。お父さんは障害がありパソコンを取り出すということだけで相当な時間がかかる。そこに、強力な助っ人が現れた。鶴さんだ。
鶴さんはしんちゃんのために太鼓型の武器を作成した。実際はシルバーの二つの電極を反応させて音を出すのだが、しんちゃんの指はほんの少ししか動かない。この動きで何とか音をパソコンから引き出さねばならない。
鶴さんは、実は江戸川区に住んでおり、しんちゃんのヘルパーは金曜日なので四季の練習の土曜日は仕事はない。でも「しんちゃんの力になりたい。」そうだ。OTの本間先生はしんちゃんが、舞台で演奏すると思っただけどぞくぞくする。といった。
慎ちゃんの病気は福山型筋ジストロフィーで、小さい頃に20までは生きられないといわれたが、今とうに30を超え、沢山の人に愛されていることがわかる。
最後に鶴さんが、持ってきたクラリネットをしんちゃんに演奏して聴かせた。
そうだ。鶴さんにも最後のハッピーに参加してもらおう。PR -
聞いたことがあるだろうか。府中の郷土芸能『四季の調べ』
かつて景気がいい頃に府中市が、藤城先生というパーカッションの大家に依頼し、誰もが演奏できる新しい府中の郷土芸能として作った12曲。府中の四季を表現した曲だ。
そしてその芸能を普及しているのは私たち、『打・GAKUDAN四季』である。恐らく、府中在住の人でもほとんど知らない。でも存在している。
存在している、と書いた手前、本当に久しぶりに府中市のホームーページでその存在を探してみる。2004年ぐらいの講習会などに名前が出てくるが見つからない。遠い昔に市の補助も打ち切られているわけだし、ついに消されてしまったか、と思ったらあった。
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/bunka/bunka/katudo/minzoku.html
府中の芸術文化祭で、ほんの数年前まで、かっこいいそろいの法被に身を包んだ府中の花形郷土芸能『武蔵国府太鼓』の間に交じって、カラフルTシャツをきて毎年『わっしょい!』と舞台から叫んでいることで覚えている人もいるかもしれない。
このグループを25年以上続けているのはわれらがドンである。初期メンバーで残っているのはドン一人。もちろん私も団員だが、入団は2006年頃で、まだ日の浅いほうである。メンバーは20年選手も数人いるが、特に入ったばかりの人に指導するわけでも威張るわけでもない。頑張って動いている雰囲気を出している人もいない。2年に一度、総会で決まってドンを会長にみんなで選び、指導はドンにみんな丸投げしている。しかし今季は珍しく、Kくんが副団長に立候補し、準備運動を指揮するようになった。画期的だ。
府中の芸文から締め出しを食った理由は、我々にもよくわからないが、ドンが参加できなかったある年の芸文の時、片付けのやり方が悪かったとか、変な場所で着替えをしていたとか、なんか小さいことにクレームがつき、次回はもう結構ですとドンに連絡がきた。メンバーは、よくわからないまま、ざわざわとしているだけだった。ドンが『みんな、頭を下げてお願いすればもう一度芸術文化祭に出られるけどどうする?』と聞いたが、みんな特に頑張って芸文に!という人がいなかったため、そのままになった。
四季は、毎月千円の会費で、土曜日夜集まって4時間のうち、2時間をゆるーい感じで練習し、毎回近くの北樽という飲み屋で飲んで解散する。
夏にはこの四季がグリーンホールの舞台に上がる。
曲目は私が12曲から抜粋した『四季メドレー』と私の編曲した『荒馬の夢即興曲』。
『荒馬の夢即興曲』
この2曲の楽譜とデモ音源を作るために私は膨大な時間を費やした。ところが、そのデモと音源を前にして、ドンは『やっぱりメドレーじゃなくて、通常の2曲にしよう。』とのたまった。
全部苦労は水の泡ですか。と不満に満ちた中の1月荒馬練習第一日目。ドンから皆にはきょうから荒馬をやるというメールが皆に送られている。
ところが、私は琴を運ぶためにわざわざ車で来た末に、琴柱を忘れてしまった。
結局自分でさらに時間を無駄にしたのだった。
せめて持ってきたスピーカーで録音音源を、と思ったら電池が切れている。未練たらたらでけいこ場で音の出ないスピーカーをしつこくいじっている横で、ドンは淡々といつものようにいつもの曲を指導している。
私は一月に入って睡眠も足りず、頭の中ではいろいろやらなくてはならないことでいっぱいで今を生きていないために、やらかし率がマックス状態になっている。
ああ、練習はあと何回だろう…などと思いながら、人気のないタンバリンを適当にたたいていると元副団長のいがぐりに『そんな音じゃ聞こえないよ。もっと大きくたたいて!!』
へ?いがぐりが指導している?ドンが言った。
『みんな音に気を付けて。工夫していい音を出すんだ。』
私がブログに乗せなきゃと思い写真撮っていると
『なおこさん。なにやってるの?』『なおこさん主催でしょ!』
三五郎から指導が入る。
気が付くと、私が一番ぼんやりしている。
皆いつもの曲をいつもの楽器で弾いているが、ちょっと違っている。
『もっといい音を。』
焦ってペースを失っているのはどうも私だけらしい。 -
おもてなしコンサート しんちゃんの反応で書いた、しんちゃんのOTの本間先生に会う。
会う前にしんちゃんから、TVで特集されていた本間先生の映像をDVDで渡された。
しんちゃんはもうすでに誤飲防止の手術を受け、物を食べるために声を失っているが、このテレビ特集でててくる本間先生の仕事は、今、声を失おうとしている人たちの声を、声が出なくなった時の為に保存して声でコミュニケーションをとる準備をする仕事だ。パート1で今や直接聞くことのできない本人の歌が流れ、感動した。
私は車いすになっても、しばらく車いすの訓練はしなかった。クラッチで生活できるようになるのではないかという気持ちがあり、クラッチでリハビリしては腱鞘炎になっていたものだ。でもALSではそうやって自分の将来を受け入れることができないでいるうちに進行し、気が付いたら歌も歌えず、声も出なくなっている可能性がある。
特集に出てきた女性は、ALSの未来を受け入れ、介護されるときのことを考えて必要な言葉を録音する。子供たちと声でコミュニケーションをとりたいという願いが切なく、その笑顔がまぶしくて美しい。
この仕事をしている先生が今度はしんちゃんのほとんど動かない手を使って、楽器を演奏させることが可能だというのだ。
本間先生に会えたのは、しんちゃんのステイの1週間のうち、夜があいている火曜日だった。もちろんドンも一緒に行った。
何か音の出る楽器を持ってくるようにとのことだった。
道に迷いながらなんとかたどりつくと、しんちゃんママが迎えてくれ、先生は部屋で待っていてくれた。
「こんにちは。早速ですが。」
先生はテレビで見た通りの熱い男で、寸暇を惜しんで、しんちゃんが触るだけで音が出るという自作ソフトの説明を始めた。
途中、マックのタブレットを見せ、「実はこんな簡単な方法もあります。」と言って画面の太鼓を指でタッチした。安っぽい太鼓の音だった。
「こんな音でいいのかということですよね。」
あっという間に、録音室に移動し、持ってきた音の録音を自ら何度も取り直して行った。OTの域を超えた仕事だ。
「しんちゃんが舞台に立つというだけで、ぐっときますよ。」
本間先生はしんちゃんにずっとかかわってきていて、しんちゃんのベッドに設置された触るだけのコールなども本間先生の作だ。しんちゃんママの話通り、先生は本気なのだ。
部屋に戻って、今度は録音した音を使って実験しようとするが、途中でパソコンの調子が悪くうまくいかない。「あれ、すみません。あれ?こんなはずではないのになあ。」と言いながら、それでも全くくじけることはなく、パソコンを2台替えた末、最後はほっとした満面の笑顔だった。
安心したついでに、他にも開発中の視線を使ってできることの実験をしてくれた。目をくりくりさせる様子など、さっきのあわて方を含めて、ちょっと笑けてくるのを我慢するのに必死だった。隣でしんちゃんママもこらえている雰囲気が伝わってくるからなおさらだった。
最後は患者さんの為に、自分で楽譜を作り、パンチで穴をかけたオルゴールの楽譜を出してきて、聞かせてくれるのだった。
先生は、「これで、すこし希望を持ってもらえたなら、これからやっていきましょう。」
先生の作業を見ていて、本当にこのパソコン作業、できるかしら、という心配はあった。
帰りにドンとたずねたしんちゃんの病室。朝から待っていたというしんちゃんは消灯まで、四季のビデオを見ていたらしく、枕元には四季の映像が映っているノートパソコンが置いてある。
「しんたろう! 先生と直ちゃんがきてくれたよ。」
ニコニコ満面の笑みで迎えてくれる。緑がかった蛍光灯の明かりの中、カーテンに仕切られたこの狭い病室で、ずっと打・GAKUDAN四季の演奏を聴いているのだろうか。この一週間のステイの間、何度演奏を見ながら、あのわずかに動く指先を動かしているんだろう。
本間先生は失敗をものともしない行動の人だと見た。私もそれにあやかって、希望を持って行動したいと思う。 -
四季にどの曲をやってもらうかについて考えた末、一日かけて、四季の調べ12曲から抽出したメドレーを作った。20周年のDVDを利用したが、業者が作っている為、画像をパソコンに取り込むことができず、アナログ録音して音を切り貼りした。
四季を織り込んで8分に納まった。自分では8分で四季の調べをうまくダイジェストにできていると思う。
一人一人の楽器の兼ね合いの問題はあるが、これなら聴いている人も退屈しないのではないかと思う。私はこういった創作能力というより、編集でいいとこどりをする能力は高い。まあ、そういう能力ってあまり自慢できないような気がしている。
しかし、30年近くこの12曲を、飽きもせずに教え続けてきた、ドンと衝突するのが不安になる。作曲者の藤城先生に聴いてもらう必要も出てくるのではないかと思う。
そういったわけで、今日は20周年のビデオを一日見る羽目になった。そこでわかったことはドンが私が”コンサートコンサート”と騒いで必死で走り回って今やっていることを、ずっと前に、すべてやっていたということだ。
四季の20周年コンサートの時、舞台に映像を入れることに関して、プロの身内メンバーに皆断られ、窮して私に頼んできたドンだったが、私はそれに対して期待以上の仕事をやり、パワーポイントで音楽入りの四季のテーマ映像を作った。
今見てもなかなか悪くない。
でも、今度のコンサートの為に、私が自分の貯金をはたいてお金で解決しようとしている、いろいろなエンターテイメントを、ドンは周りの人脈を使って、お金もあまり使わずに、見事にやりぬいていたことが、今頃になってわかった。
筋ジストロフィーのしんちゃんもしっかりと舞台で紹介し、しんちゃんのお母さんが手を重ねて一生懸命一緒に演奏している姿がしっかりと映像に残っている。私はあの頃はしんちゃんのことなど全く気にしていなかった。自分のことしか考えられなかった。
また、あの時は、皆の総意で打ち上げまですべて会費を使い、あの映画のようなDVDを含めて、今の倍の人数板メンバー誰一人お金を使わなかった。
今度は1000円の入場料で、キャパ1800の会場資金を私がたった一人ですべて調達しようとしている。さらにお金よりも恐れるべきはお客さんが集められるかということだ。だが、不思議に不安ではない。
私はずっと孤独だったので、何かを動かせるとも思っていなかったし、社会にうまく溶け込めなかったので、独りよがりを恐れて、ひっそりと生きてきた。何一つ夢も希望もなかったが、このチャンスを自分に与えることができてよかったと思う。徹底的に自分を疑わずにやってみようと思う。笑われても、足を止めたり、ひるんだりするまいと思う。
コンサートを一人でも満員にしてきたドン。人間力が私とは比較にならない。皆に愛される人間なのだ。彼の主催したコンサートに対して、私は少しでも超えられることがあるのだろうかと考える。まあ、奇跡を信じなくては。
さて、いつもモノクロに見える私の未来、この一年で色のついた映像が見えてくるだろうか。 -
今度のコンサートに出演するにあたって、自分が本当に所属しているといえる団体が打・GAKUDAN四季である。
2012年~13年、20周年コンサートの時書いていたブログが見つかった。
http://poppoppop.janken-pon.net/
団長は、われらが柳ドンである。私は打・GAKUDAN四季に入って13年程になる。その間に琴や歌などで、ドンとの活動を他の場所に移してきたという感じだ。
メンバーは、最盛期は20人ぐらいいたのではないかと思うが、現在、あてにはならないが、常連といっていいメンバーは8人。福山型筋ジストロフィーのしんちゃんも所属しているが、同じ団員のお母さんの体調が悪くなり、今はあまり来られなくなっている。 しんちゃんをはじめとし、精神持っていたり、知的障害だったり、身体障害だったり、いじめられっこだったり、どこかに傷のないメンバーはいないといっていい。
客観的にこんなことを言っている自分だが、自分自身もその中で身体障害と精神の間ぐらいに属している人間だ。自分でもここだから13年も続いていると思う。
太鼓のグループにありがちな、熱いたすけあい、教えあい、向上心はこれっぽっちもない。誰かが新しく入ってきても、ドン以外は教えようという気もなく、自分の決まった仕事すら、それぞれがあまり自覚がない。その代り、誰がちゃんと動こうが、怠けようが、人のことは皆気にしていない。ドンがいるから大丈夫だと思っている。
ただ、土曜日にここにきて、くだらないことを言って、からんでいるともいえない会話をして笑いながら、だらだらと準備運動と基礎練習をし、四季の調べという府中の芸能としてつくられた12曲を日々練習している。
ただ驚くのはその継続力。ほとんどが10年選手であり、この団体自体が25年をこえている。この継続で、いつの間にか四季の12曲は下手ながら皆一通りこなせるようになった。 継続の根っこに唯一あるのはドンの存在であり、彼の、「四季はうまくないけれどもすごくいい」という信念だ。彼がごくまれに休むと、みな休もうとする。20周年コンサートも25周年コンサートも、ドンが「やろうか!」といっても乗ってくるメンバーはほぼおらず、結局ドンが一年がかりでなんとか皆を引っ張り、結局奇跡のような、心温まるいいコンサートになるという図式だ。
ドンも、くだらないことを言いながら、練習後このメンバーといつもの店で飲む一時が、何にも替えがたく幸せなように見える。
もともと、府中の新しい芸能である「四季の調べ」を普及するためのグループであり、市の支援も受けていたが、この四季の調べという四季を表わす12曲の曲が、もともと府中の応援歌として作られたにもかかわらず、あまりに地味であったためいまひとつ人気がでず、同時に作られた府中国府太鼓のように広まらず、人数の集まらない講習会はいつの間にか補助打ち切り、メンバーもドン以外は全くマイーペースかつ社交性がなかったこともあり、ある年の、ドンが留守だった芸術文化際において、府中の太鼓グループの不興を買い、参加を止められるに至った。今は明らかに府中の落ちこぼれグループとなっている。
来年のオリンピックコンサート。この四季に、調布の1300人のホールの、1000円のお金をとる舞台に、参加してもらうのである。
ドンは、私の四季への演奏依頼を、「太鼓を借りる為だろう。」という。それはそういう側面もあるが、実際、人数もそろわず、熱い思いもまったく見えないわれらが四季である。自分のオリジナルの荒馬の夢即興曲という新曲でなんとか新風を吹き込みたいと思うが、自分自身が新入りに教えたこともないまさに四季の権化たる人間であり、さて、この曲を皆に演奏してもらうにはどうしたらいいのか途方に暮れている始末だ。
また、府中の太鼓を借りるためには、四季の調べの曲を演奏しなければならない以上、何か12曲の中から演奏しなければならない。コンサートの予算は膨れ上がっている。私としては何とかお金を取ってもいい演奏をしてもらいたいところだ。
そのあせりを少し、四季のふしみんに訴えてみたけれど、「へえ~~。そうなんだ。」という具合。 おい、演奏するのは私たちだぜ。と言いたかった。
帰りに、やりつくした感のある四季の曲を思い返し、何だったらGAKUDANの良さが出るのだろう、と缶ビールを飲みながら考えた。
どうだろう。メドレーを作ってみようか。
そう思った。12曲の一番印象的な部分だけを集めて、四季メドレー。 著作権の問題はあるだろう。だが、作曲者藤城先生さえ、見向きもしない四季の調べ。市は何一つ補助も出番をくれることもない、打ち捨てられた12曲。落ちこぼれ8人が何とかつないでいる。メドレーにしたところで誰が非難するんだろう。
私は荒馬の楽譜作りの前に、メドレー案を考えて、ドンを説得してみようと考えた。