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だから、私はコンサートをすることにした。

2019年、7月、会社を辞め、オリンピック開会式前日の2020年7月23日、調布グリーンホール。 オリンピック閉会式翌日の2020年8月10日調布たづくりホール確保した。 そして2020年3月24日オリンピック延期。新型ウィルスによる集会禁止。 一生に一度の地元のオリンピックで、外国から来た方に日本の音色でおもてなしをするという企画が、未曽有の事態によって、違う方向へ。 いつも最悪に見える人生のタイミング。運命は自分にいったい何を教えようとしているのか。 たった一人の音楽パートナードンとドンキホーテのように無鉄砲な企画に立ち向かう名もなき車いす。空を飛べるか。

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打・GAKUDAN四季を利用している?
今度のコンサートに出演するにあたって、自分が本当に所属しているといえる団体が打・GAKUDAN四季である。

2012年~13年、20周年コンサートの時書いていたブログが見つかった。
http://poppoppop.janken-pon.net/

団長は、われらが柳ドンである。私は打・GAKUDAN四季に入って13年程になる。その間に琴や歌などで、ドンとの活動を他の場所に移してきたという感じだ。

メンバーは、最盛期は20人ぐらいいたのではないかと思うが、現在、あてにはならないが、常連といっていいメンバーは8人。福山型筋ジストロフィーのしんちゃんも所属しているが、同じ団員のお母さんの体調が悪くなり、今はあまり来られなくなっている。 しんちゃんをはじめとし、精神持っていたり、知的障害だったり、身体障害だったり、いじめられっこだったり、どこかに傷のないメンバーはいないといっていい。

客観的にこんなことを言っている自分だが、自分自身もその中で身体障害と精神の間ぐらいに属している人間だ。自分でもここだから13年も続いていると思う。

太鼓のグループにありがちな、熱いたすけあい、教えあい、向上心はこれっぽっちもない。誰かが新しく入ってきても、ドン以外は教えようという気もなく、自分の決まった仕事すら、それぞれがあまり自覚がない。その代り、誰がちゃんと動こうが、怠けようが、人のことは皆気にしていない。ドンがいるから大丈夫だと思っている。

ただ、土曜日にここにきて、くだらないことを言って、からんでいるともいえない会話をして笑いながら、だらだらと準備運動と基礎練習をし、四季の調べという府中の芸能としてつくられた12曲を日々練習している。

ただ驚くのはその継続力。ほとんどが10年選手であり、この団体自体が25年をこえている。この継続で、いつの間にか四季の12曲は下手ながら皆一通りこなせるようになった。 継続の根っこに唯一あるのはドンの存在であり、彼の、「四季はうまくないけれどもすごくいい」という信念だ。彼がごくまれに休むと、みな休もうとする。20周年コンサートも25周年コンサートも、ドンが「やろうか!」といっても乗ってくるメンバーはほぼおらず、結局ドンが一年がかりでなんとか皆を引っ張り、結局奇跡のような、心温まるいいコンサートになるという図式だ。

ドンも、くだらないことを言いながら、練習後このメンバーといつもの店で飲む一時が、何にも替えがたく幸せなように見える。

もともと、府中の新しい芸能である「四季の調べ」を普及するためのグループであり、市の支援も受けていたが、この四季の調べという四季を表わす12曲の曲が、もともと府中の応援歌として作られたにもかかわらず、あまりに地味であったためいまひとつ人気がでず、同時に作られた府中国府太鼓のように広まらず、人数の集まらない講習会はいつの間にか補助打ち切り、メンバーもドン以外は全くマイーペースかつ社交性がなかったこともあり、ある年の、ドンが留守だった芸術文化際において、府中の太鼓グループの不興を買い、参加を止められるに至った。今は明らかに府中の落ちこぼれグループとなっている。

来年のオリンピックコンサート。この四季に、調布の1300人のホールの、1000円のお金をとる舞台に、参加してもらうのである。

ドンは、私の四季への演奏依頼を、「太鼓を借りる為だろう。」という。それはそういう側面もあるが、実際、人数もそろわず、熱い思いもまったく見えないわれらが四季である。自分のオリジナルの荒馬の夢即興曲という新曲でなんとか新風を吹き込みたいと思うが、自分自身が新入りに教えたこともないまさに四季の権化たる人間であり、さて、この曲を皆に演奏してもらうにはどうしたらいいのか途方に暮れている始末だ。

また、府中の太鼓を借りるためには、四季の調べの曲を演奏しなければならない以上、何か12曲の中から演奏しなければならない。コンサートの予算は膨れ上がっている。私としては何とかお金を取ってもいい演奏をしてもらいたいところだ。

そのあせりを少し、四季のふしみんに訴えてみたけれど、「へえ~~。そうなんだ。」という具合。 おい、演奏するのは私たちだぜ。と言いたかった。

帰りに、やりつくした感のある四季の曲を思い返し、何だったらGAKUDANの良さが出るのだろう、と缶ビールを飲みながら考えた。

どうだろう。メドレーを作ってみようか。

そう思った。12曲の一番印象的な部分だけを集めて、四季メドレー。 著作権の問題はあるだろう。だが、作曲者藤城先生さえ、見向きもしない四季の調べ。市は何一つ補助も出番をくれることもない、打ち捨てられた12曲。落ちこぼれ8人が何とかつないでいる。メドレーにしたところで誰が非難するんだろう。

私は荒馬の楽譜作りの前に、メドレー案を考えて、ドンを説得してみようと考えた。
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