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年末、一人もくもくと30枚の年賀状、50通のメールを書き、7月、8月のイベントについてお知らせすることにした。今回は親戚一同にも声をかける。
私は子供の頃から、親戚が苦手で、親戚が遊びに来ると奥の部屋に逃げ出した。家とか家族というものに居心地悪さと嫌われ感を持っており、結局家族を離れて東京に出てきて、結婚もしたいとおもわなかった。寂しさはいつもあったと思うがそれを、特に家族には見せなかった。
そんな私なので、何をするにもあまり家族に報告・連絡・相談でつながっていない。コンサートについてもラインでちょっと報告して、あとは、一体どう思っているんだろう、と恐れて近づかない。
しかし、先日実家に帰ってみると、誰も見てくれていなかったブログを、家族はちゃんと読んでくれていることが分かった。そういえば母親に相談した時のことも書いたなあ。あんなの読んでたんだ。(8月抽選最終日 ドンと母親の反応)恥ずかしいなあ、と思うが、母親は今回東京に戻る直前に、東京に住む親せきの住所をいくつかピックアップしてくれた。きっと、母親もどうなるものやら分からない娘のコンサートを親戚に知らせるのは恥ずかしいだろうが、それなりに決意しているんだと思う。
姉の友人は、ほとんど交流のない私を食事に招いて、外国の友人を紹介してくれた。お世辞にも、あまり人に尽くしているとはいえない私に、いざとなると血縁との絆を持つ人が、事情を差し置いて駆けつけてくれる。
そんなわけで、結局、今年中にコンサートの本チラシを作るという予定もかなわず、31日夜中11時ごろ、メールを送るだけにして国領神社にお参りに行く。おなかの調子が悪く、一度家に戻り時計を見たら12時半。あわてて、メールを一斉に出す。いつも後手後手に回っている。
実家に帰らない時は、国領神社の目と鼻の先に住む、打・GAKUDAN四季のちよさんと12時からなり始める太鼓を叩きに行ったものだ。一緒にここでお参りして、お神酒と甘酒と長寿箸をもらって、たき火に当たりながら飲んでいたっけ。
昨年はちよさんの追悼コンサートだった。もうここにちよさんはいない。
(2015年ちよさんと)
前に並んでいるカップル頼んで、小銭を賽銭箱に入れてもらう。にこにこしながら「階段のうえに運びますよ。ちょっと酔っぱらっているけど。」とその仲間たちど言ってくれるが、笑顔でお断りした。「下でお参りしますから大丈夫!」
お賽銭を振り返って入れてくれた。一緒に手を合わせる。
最近、神様には、お願いをするのではなく、感謝をするのだと聞いて、そうすることにしている。
考えてみると、すべて望むことはかなえられていっている。自分がやりたいと思い、1800の座席のホールでコンサートをする段取りまでできている。想像することが怖くて真っ白にみえていた近未来が少しずつ形になってきている。。
こんな無謀な企画に沢山の人がかかわってくれている。
それでも、不安だったり悲しかったり不満だったり寂しかったりする。うまくいったことより、うまくいっていないことが気になり胸が苦しくなる。
神様は願いをかなえてくれる、いやすでにかなっているのだから、笑顔でありがとうという。それができることがハッピーなのだ。今年は一年、ハッピーな年にする。
そのあと、お神酒をいただき、お箸をもらう。神社の役員の方が「最後です。」といった。
なんと、私は配られる長寿箸の一番最後にありついたのだ。「あ、福がある!」と私は言った。
太鼓を叩くのにお賽銭はいらないが、いつものように千円箱に入れた。
「前田家のご多幸に三本締めを!」
神社の方が皆で三本締めをしてくれる。一番大きいばちを持たせてもらい、大太鼓に向かう。大きな太鼓の前で腹に力を入れると、お腹と太鼓がつながったような気持ちになり、叩くのがうれしくてたまらない気持になる。
三回。「どん・どん・どーん!」
気分爽快。拍手をいただく。
ああ、気持ちよかった。でもあまり大きな音が出なかったな。もっと近づけばよかったかな。せっかくの3回、もっとゆっくり味わって叩けばよかった。…あ、いかんいかん。いつもこんなことばかり考えるからハッピーになれないのだ。
一人でこんな寒い夜にここまでこられた。お参りして太鼓も叩いた。願いがかなったぞ。
メールが来た。ミュージシャンで映画にも出ているKさんだ。福岡で活動している。「来られるかわからないですが、あなたの生き方は素敵だと思います。」寒い帰路、心が温まった。
さて、かつての仲間とどれぐらいつながれるだろうか。
私は子供の頃から、親戚が苦手で、親戚が遊びに来ると奥の部屋に逃げ出した。家とか家族というものに居心地悪さと嫌われ感を持っており、結局家族を離れて東京に出てきて、結婚もしたいとおもわなかった。寂しさはいつもあったと思うがそれを、特に家族には見せなかった。
そんな私なので、何をするにもあまり家族に報告・連絡・相談でつながっていない。コンサートについてもラインでちょっと報告して、あとは、一体どう思っているんだろう、と恐れて近づかない。
しかし、先日実家に帰ってみると、誰も見てくれていなかったブログを、家族はちゃんと読んでくれていることが分かった。そういえば母親に相談した時のことも書いたなあ。あんなの読んでたんだ。(8月抽選最終日 ドンと母親の反応)恥ずかしいなあ、と思うが、母親は今回東京に戻る直前に、東京に住む親せきの住所をいくつかピックアップしてくれた。きっと、母親もどうなるものやら分からない娘のコンサートを親戚に知らせるのは恥ずかしいだろうが、それなりに決意しているんだと思う。
姉の友人は、ほとんど交流のない私を食事に招いて、外国の友人を紹介してくれた。お世辞にも、あまり人に尽くしているとはいえない私に、いざとなると血縁との絆を持つ人が、事情を差し置いて駆けつけてくれる。
そんなわけで、結局、今年中にコンサートの本チラシを作るという予定もかなわず、31日夜中11時ごろ、メールを送るだけにして国領神社にお参りに行く。おなかの調子が悪く、一度家に戻り時計を見たら12時半。あわてて、メールを一斉に出す。いつも後手後手に回っている。
実家に帰らない時は、国領神社の目と鼻の先に住む、打・GAKUDAN四季のちよさんと12時からなり始める太鼓を叩きに行ったものだ。一緒にここでお参りして、お神酒と甘酒と長寿箸をもらって、たき火に当たりながら飲んでいたっけ。
昨年はちよさんの追悼コンサートだった。もうここにちよさんはいない。
(2015年ちよさんと)
前に並んでいるカップル頼んで、小銭を賽銭箱に入れてもらう。にこにこしながら「階段のうえに運びますよ。ちょっと酔っぱらっているけど。」とその仲間たちど言ってくれるが、笑顔でお断りした。「下でお参りしますから大丈夫!」
お賽銭を振り返って入れてくれた。一緒に手を合わせる。
最近、神様には、お願いをするのではなく、感謝をするのだと聞いて、そうすることにしている。
考えてみると、すべて望むことはかなえられていっている。自分がやりたいと思い、1800の座席のホールでコンサートをする段取りまでできている。想像することが怖くて真っ白にみえていた近未来が少しずつ形になってきている。。
こんな無謀な企画に沢山の人がかかわってくれている。
それでも、不安だったり悲しかったり不満だったり寂しかったりする。うまくいったことより、うまくいっていないことが気になり胸が苦しくなる。
神様は願いをかなえてくれる、いやすでにかなっているのだから、笑顔でありがとうという。それができることがハッピーなのだ。今年は一年、ハッピーな年にする。
そのあと、お神酒をいただき、お箸をもらう。神社の役員の方が「最後です。」といった。
なんと、私は配られる長寿箸の一番最後にありついたのだ。「あ、福がある!」と私は言った。
太鼓を叩くのにお賽銭はいらないが、いつものように千円箱に入れた。
「前田家のご多幸に三本締めを!」
神社の方が皆で三本締めをしてくれる。一番大きいばちを持たせてもらい、大太鼓に向かう。大きな太鼓の前で腹に力を入れると、お腹と太鼓がつながったような気持ちになり、叩くのがうれしくてたまらない気持になる。
三回。「どん・どん・どーん!」
気分爽快。拍手をいただく。
ああ、気持ちよかった。でもあまり大きな音が出なかったな。もっと近づけばよかったかな。せっかくの3回、もっとゆっくり味わって叩けばよかった。…あ、いかんいかん。いつもこんなことばかり考えるからハッピーになれないのだ。
一人でこんな寒い夜にここまでこられた。お参りして太鼓も叩いた。願いがかなったぞ。
メールが来た。ミュージシャンで映画にも出ているKさんだ。福岡で活動している。「来られるかわからないですが、あなたの生き方は素敵だと思います。」寒い帰路、心が温まった。
さて、かつての仲間とどれぐらいつながれるだろうか。
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