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だから、私はコンサートをすることにした。

2019年、7月、会社を辞め、オリンピック開会式前日の2020年7月23日、調布グリーンホール。 オリンピック閉会式翌日の2020年8月10日調布たづくりホール確保した。 そして2020年3月24日オリンピック延期。新型ウィルスによる集会禁止。 一生に一度の地元のオリンピックで、外国から来た方に日本の音色でおもてなしをするという企画が、未曽有の事態によって、違う方向へ。 いつも最悪に見える人生のタイミング。運命は自分にいったい何を教えようとしているのか。 たった一人の音楽パートナードンとドンキホーテのように無鉄砲な企画に立ち向かう名もなき車いす。空を飛べるか。

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8月抽選最終日 ドンと母親の反応

本日、8月の抽選最終日。

倍率は低いので、ほぼ当選確実と思われる。つまり、オリンピック開会式前日と閉会式翌日の会場を確保できるわけだ。合わせて最大1800のキャパになる。

ドンは最初から、「2日やるのは反対だ。」といった。
2日に客が分散されるし、なぜ、欲張って2日やる必要があるのかと聞かれた。

私は、「2日やらなければ、内容がよかったかどうか、最後までわからない。ああ、つまらないものを見たな。とみんな外国に帰ってしまうだけ。もし、よかった場合は口コミで2回目の集客につながる。宣伝活動もすべて、2つ同時に行えるよ。」

一生に二度はあり得ない、地元でのオリンピックのLUCKは、私のような一般人も得ることができるかもしれないチャンスだ。私たちがやってきた音楽は、この時だからこそ、花開くかもしれない。たとえ三日で散る桜であっても。

私は自分の頭の中の計画を次々ドンに話した。具体的に自分で動き始めていることもいくつかある。

なかなか、ドンは「二日とも協力する」と言わなかったが「じゃあ、とりあえず、呼びたい人がすべて来た場合のプログラムを作ってみな。」といった。
しかし、それを作る前の一昨日、「やっていいよ。」といった。

「俺に止められたからやめてほしくはない。俺は、失敗してもやらないよりはやる方をとる。そう決めたからに、ほら、だから俺が止めただろうなんて絶対に言わない。最初から自分が言い出したかのようにやるよ。決めたからにはやるまでだ。」といった。

ドンの今までの行動からみても、すべて裏付けのある言葉だ。

成功の時はよかったね。と喜ぶが、雲行きが怪しくなると起こした人間に責任をかぶせる人は多い。だが彼はそれをしたことはないし、今、まさにそれをしない宣言している。

ドンがやることになる仕事は山積みで、おまけに定年前の最後の一年、仕事の上でも多くを引き受けている状況である。

今度8月2日、札幌時計台コンサートで歌う、「レイズミーアップ」が頭の中で流れている。

You raise me up, so I can stand on mountains; You raise me up to walk on stormy seas

そして、もう一人報告する人がいる。母親だ。

仕事を辞める、来年は大きなコンサートをやる。とラインで連絡して以来、ほぼ話していない。

母親にこれは本気だということを普段の調子で語ってみる。
「一生に1回のオリンピック。お金は貯金で賄える。パートやりながら、一年間これに専念したいんだよ。大丈夫。借金するような額じゃない。私は車椅子だし、もともと気力のない方だし、こんなことやろうと思えるのも今だけ。これが終わったら堅実に先のことを考えるよ。」

もともと気力のない私が、というあたりで詰まりそうな声をごまかす私だった。

学生時代から無気力で、宗教にはまったり、首が3年曲がってしまったり、過食やアル中に近い日々があり、ついには車椅子になり、哀れな存在としての私を誰よりも知っている母親だ。

「あんたの話は疲れるねえ。」と言った。
いろいろ自分に降りかかってきそうな災難を想像しているのだろう。仕方ないと思う。今までそれを引き受けてきたのだし。

でも、なんとなく「生きる」の主人公のように、黙々と恐れがない自分に気づいている。心配もしていないし、具体的にやるべきことが次々頭に浮かんでいる。

これからも私は生きてゆくだろう。
オリンピックコンサートをやってから生き続けるのか、幻のコンサートについて、もしやっていたらどうだろうと想像しながら生きて続けてゆくのかの違い。

やらなかった場合は想像できる。やった場合は、やってみていないので想像できない。片方の未来が灰色に見えるが、もう片方の未来は全く色が見えない。ただ少しだけ色がついているような気がする。

3年前に、10年以上働いた会社もやめたときも同じ状況だった。安泰な未来は色がなく見えたのだ。それから今までの3年も今の時点で無色であり、今だ意味不明の時間だ。
 
私はやるだろうと思う。そしてそれを完了して、またその先も生きてゆくだろうと思う。大したことじゃない。どのみち同じ終わりに向かって行列を作っている私たちなのだ。

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