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「君が代の伴奏ダメだった。アカペラで歌うよ。師匠は伴奏しないってさ。」
ドンに言った。(2019/11/18君が代の憂鬱)
(これが、「胡弓」。胡弓というとほとんどの人が中国の二胡と間違えている。弦は三本。三味線より歴史が古い。)
今日のドンは、飲み会帰りとは知っていたが、相当に酔っぱらっていて、赤い顔をして
「どうして?」といった。
「嫌なんでしょう。」とつっけんどんに答える。
稽古用の胡弓を持ってきていなかったのもあったので、「先生、今日はこのまま練習しなくて帰っていいですよ。」といったが、せっかくここまで来たんだから、練習しようといった。
ふと、「じゃあ、アカペラで歌う ”君が代” 聴いて下さいよ。」と言ってみた。
「いいよ。」
アカペラで歌う価値がなければただのひとりよがりになってしまう。ドンに演奏や歌を初めて聴かせようとするといつも緊張してうまくいかないが、この場に及んでそんなことは言っていられない。お客さんにアカペラで聴かせようというのに。
歌ってみるがやはり集中できない。抑揚も感情も出せなくなってしまう。案の定、
「うーん。それじゃただ歌っているだけで、歌う意味がない。」
と言われた。
何度か歌ってみた。
すると、ドンは「俺が歌ってみようか。」といった。
いつものことだ。ドンは人が必死で歌うと、自分も歌いたくなる性分なのだ。
一緒に歌ってみた。いつものように、ドンの声に紛れることで、私はのびのび歌えるようになる。歌ったあと、ドンは言った。
「俺、こんなに大声で必死に君が代を歌ったの初めて。」
私と同じだ。実はこの企画を言い出して以来、稽古場で恥ずかしいけれど全力で一人で歌っている。本当に君が代を大声で歌ったのは、それが初めてだった。
「いい曲だということはわかっているけどね。」ドンは言った。
歌ってみるとこの微妙な音程は非常に難しく、この歌を上手く歌うことの困難さは、対策としてネットで調べて見てわかった。
この曲は西洋の原理でメロディーがつくられているとかで、日本語の言葉の意味を分断するように切れてしまいやすい。
(さだまさしの君が代。何故か感動する。)
「先生、民謡の人なら、きっと”苔のむすまで”は一息でやると思うよ。」
「そうしてみようか。」
などと言いながら、何度も練習した。自分一人で歌う時ぐらい自由に歌えるようになったので嬉しくなって、
「先生、二人で歌えば人に聴かせても大丈夫な感じじゃないですか?」といった。
「いいよ。俺、歌っても。」
とドンは言った。言ってすぐ、
「ああ、俺って、いろいろ譲ったよなあ。」
と自分でうんざりしている。
「歌う前に ”私は教員ですが”って言おうかな。」という。
「なんですか。外国の人が変に思いますよ!」と笑った。
でも、ドンにとても感謝していた。
ドンに言った。(2019/11/18君が代の憂鬱)
(これが、「胡弓」。胡弓というとほとんどの人が中国の二胡と間違えている。弦は三本。三味線より歴史が古い。)
今日のドンは、飲み会帰りとは知っていたが、相当に酔っぱらっていて、赤い顔をして
「どうして?」といった。
「嫌なんでしょう。」とつっけんどんに答える。
稽古用の胡弓を持ってきていなかったのもあったので、「先生、今日はこのまま練習しなくて帰っていいですよ。」といったが、せっかくここまで来たんだから、練習しようといった。
ふと、「じゃあ、アカペラで歌う ”君が代” 聴いて下さいよ。」と言ってみた。
「いいよ。」
アカペラで歌う価値がなければただのひとりよがりになってしまう。ドンに演奏や歌を初めて聴かせようとするといつも緊張してうまくいかないが、この場に及んでそんなことは言っていられない。お客さんにアカペラで聴かせようというのに。
歌ってみるがやはり集中できない。抑揚も感情も出せなくなってしまう。案の定、
「うーん。それじゃただ歌っているだけで、歌う意味がない。」
と言われた。
何度か歌ってみた。
すると、ドンは「俺が歌ってみようか。」といった。
いつものことだ。ドンは人が必死で歌うと、自分も歌いたくなる性分なのだ。
一緒に歌ってみた。いつものように、ドンの声に紛れることで、私はのびのび歌えるようになる。歌ったあと、ドンは言った。
「俺、こんなに大声で必死に君が代を歌ったの初めて。」
私と同じだ。実はこの企画を言い出して以来、稽古場で恥ずかしいけれど全力で一人で歌っている。本当に君が代を大声で歌ったのは、それが初めてだった。
「いい曲だということはわかっているけどね。」ドンは言った。
歌ってみるとこの微妙な音程は非常に難しく、この歌を上手く歌うことの困難さは、対策としてネットで調べて見てわかった。
この曲は西洋の原理でメロディーがつくられているとかで、日本語の言葉の意味を分断するように切れてしまいやすい。
(さだまさしの君が代。何故か感動する。)
「先生、民謡の人なら、きっと”苔のむすまで”は一息でやると思うよ。」
「そうしてみようか。」
などと言いながら、何度も練習した。自分一人で歌う時ぐらい自由に歌えるようになったので嬉しくなって、
「先生、二人で歌えば人に聴かせても大丈夫な感じじゃないですか?」といった。
「いいよ。俺、歌っても。」
とドンは言った。言ってすぐ、
「ああ、俺って、いろいろ譲ったよなあ。」
と自分でうんざりしている。
「歌う前に ”私は教員ですが”って言おうかな。」という。
「なんですか。外国の人が変に思いますよ!」と笑った。
でも、ドンにとても感謝していた。
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