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だから、私はコンサートをすることにした。

2019年、7月、会社を辞め、オリンピック開会式前日の2020年7月23日、調布グリーンホール。 オリンピック閉会式翌日の2020年8月10日調布たづくりホール確保した。 そして2020年3月24日オリンピック延期。新型ウィルスによる集会禁止。 一生に一度の地元のオリンピックで、外国から来た方に日本の音色でおもてなしをするという企画が、未曽有の事態によって、違う方向へ。 いつも最悪に見える人生のタイミング。運命は自分にいったい何を教えようとしているのか。 たった一人の音楽パートナードンとドンキホーテのように無鉄砲な企画に立ち向かう名もなき車いす。空を飛べるか。

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2020年1月前半期 何をしていたか
新年開けて、二週間たとうとしている。あと10日で半年前がやってくる。

ブログは滞っているが、手をこまねいていたわけではない。

1月4日四季の新年会。前日遅くまでたった一人で買い出し、準備をしながら、結局頼みのメンバーは欠席が多い。新年に出した、ご無沙汰している人たちに出した葉書は半分ぐらい帰ってきてしまった。連絡もつかない。疲れて気持ちがへんに落ち込んで、何もかも投げ出したい気分になってしまったが、数時間寝たら元気になり、立派に新年会のあとかたずけまで勤めあげた。なんか大人になった気がする。既に50だが。

以前に、琴の金木星のメンバーが、コンサートは無理だと言ってやめようとした時、出演をとりやめにしようとしたら、89歳のメンバー加藤先生に言われた。「せっかくやる気になったんだから、やめる人ではなく、いる人のことを考えよう。」来ない人より来る人に希望を持つべきだと。

1月6日琴、金木星で八雲苑で、ボラ演奏。どうしようかとうろうろしていうるちに、かたずけがはじまってしまったが、よし、と思い切ってコンサートの宣伝する。すぐにチラシは貼られ、職員さんが「ぜひ、行きたいです。」と言ってくれた。



1月11日、武蔵国府太鼓の輪鼓で、多摩センターライフケアセンターでボラ演奏。今回は宣伝兼ねて、琴を持参させてもらい、ドンの笛と一緒に、春の海のさわりと、上を向いて歩こう、北国の春もやった。病気していたリーダーの”おにいちゃん”が復帰し、久々に叩く太鼓は、気合いが入っていて、希望にみちた新年の演奏だった。また、我がハンメルンの笛吹きであるドンが、朗々と笛を吹いて、さらにみんなでご老人を誘い出し、太鼓の体験コーナーはすごい盛り上がりだった。最後に叩いたおじいさんはすごい力で叩き続けて、汗だくで爽快ないい顔になり、さらにみんなに誉められて饒舌だった。

でも、ドンはあとで、(脳溢血でも起こしたらどうしようかと思った)と恐怖をかたっていた。

1月12日は琴木星の新年会と、午後から、コンサートのゲストで来る奥山さんのワークショップがあった。

新年会で、私はみんなに演説をした。コンサートをすることになったきっかけと意気込みを語った。みんなよく聞いてくれ、リーダーの歌子さんも「頑張らなきゃね!」と気合を入れてくれ、メンバーの大さんもワークショップに向かう私に「気を付けていってらっしゃい!」と送り出してくれる。

この二人はいつも陰でいろいろと取り持ってくれたり、段取りをとってくれ、チラシをいろいろなところに撒いてくれたりして働いてくれている。いなくなる人もいるが、いるメンバーが現実を動かしてくれている。

まだ何も始まってないのになにか涙が出る。

自分がいろいろ表現するようになったのを感じている。伝わるかわからなくても自分の気持ちを迷わず言ってみるようになってきた。無言は楽だけれど、何も変わらない。ブログもそう。つい黙り込んでしまう私だが、こういった日々を書くことが面白いのか面白くないのかと迷うより、こうやって自分に起こっていることを、ちゃんと書いて表現していこうと思う。
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