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だから、私はコンサートをすることにした。

2019年、7月、会社を辞め、オリンピック開会式前日の2020年7月23日、調布グリーンホール。 オリンピック閉会式翌日の2020年8月10日調布たづくりホール確保した。 そして2020年3月24日オリンピック延期。新型ウィルスによる集会禁止。 一生に一度の地元のオリンピックで、外国から来た方に日本の音色でおもてなしをするという企画が、未曽有の事態によって、違う方向へ。 いつも最悪に見える人生のタイミング。運命は自分にいったい何を教えようとしているのか。 たった一人の音楽パートナードンとドンキホーテのように無鉄砲な企画に立ち向かう名もなき車いす。空を飛べるか。

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もらえるものはやはり…

先月やめた会社から、失業証明がきたのでハローワークに行く。

すでに紹介された3件の会社に落ち、anで見つけた会社も落ちてしまっている。コンサートが決まってから、仕事に関する基準がはっきりしていた。キャリアになるかなどはどうでもいい。この一年、とにかく何でもいいので、近所の短時間パートの仕事を探す。素人が1800のキャパを埋める為には、新入社員として疲れ切っているわけにいかない。

書類を障害者窓口に提出すると前回と同じように細かく失業保険の話が始まった。隣では、おそらく精神障害の人が、会社で受けたハラスメントについて大きな声で話し続けていて、その声が大きいほどに、相談を受けた職員は目立たないように声を潜めていく。

「8月半ばには第1回目の失業保険が振り込まれます。」

ん?自己都合でやめたら3か月は失業保険はもらえないはずでは…?

「いえ、契期満了でおやめになっていますので、1か月で支給されます。」

契期満了には違いないが、3か月おきの更新をやめただけの話だ。

そういえば、前の会社のチームリーダーが、何度か私に契期満了でいいですか、とやたらに強調していたっけ。あれは責任逃れではなく、思いやりだったのか。

望んで就いたデザイン業務から、レシート検閲に回されて3か月、やめると言ったらびっくりして、自分のせいではないということを説得するのに必死のリーダーだったが、最後は心を込めてお世話になりましたと挨拶した。実際、あの時は毎日が鬱状態だった。リーダーはデザインには戻せなかったが、退職後について少しは考えてくれたということだろうか。

「また、1年以上働いていらしたので、360日の支給の権利があります。」
私は就労困難者という扱いになるので失業保険が人の倍の期間受けられる。

手続きの済んだ私は、仕事検索のパソコンの前で、黙々とパートを探したけれど、心はいつしか上の空だった。

2年休んで、1年3か月働き、また失業保険をもらう49歳に、次の就職は難しいだろう。お隣で相談していた方と同じような運命が待っているかもしれない。苦難の仕事に従事している弟にも周囲の人にも恥ずかしくてとても言えない。

でも、でも……もらえるものなら、やはりもらおうか。

面接の憂鬱。会社の中にいる苦痛。会社という場所では人間が変わってしまい、全身からマイナスオーラを出す自分。誰にも話しかけず一人でお昼を食べる毎日。失業保険が終わったら、この苦痛以外の道を見つけることはできないだろうか。能天気で、明るい自分でいられる道を。今がまさにそんな私なのだ。

苦しかった鬱鬱とした1年3か月。それは、今のための日々だったと自分に言い聞かせるのだった。

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