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だから、私はコンサートをすることにした。

2019年、7月、会社を辞め、オリンピック開会式前日の2020年7月23日、調布グリーンホール。 オリンピック閉会式翌日の2020年8月10日調布たづくりホール確保した。 そして2020年3月24日オリンピック延期。新型ウィルスによる集会禁止。 一生に一度の地元のオリンピックで、外国から来た方に日本の音色でおもてなしをするという企画が、未曽有の事態によって、違う方向へ。 いつも最悪に見える人生のタイミング。運命は自分にいったい何を教えようとしているのか。 たった一人の音楽パートナードンとドンキホーテのように無鉄砲な企画に立ち向かう名もなき車いす。空を飛べるか。

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オリンピックを利用する?調布を利用する?
胡弓の木場先生にコンサートのことを話したとき、言われた言葉に胸が痛んだ。
「結局コンサートにいそがしくてオリンピックは見られないかもね。」といわれたとき、私は
「スポーツはあまり興味ないんですよ。」といった。すると
「それは口に出さないほうがいいよ。オリンピックを利用しているだけだと思われるよ。パラリンピックじゃダメだったの?人の支持は得られるよ。」

言われてみれば、車いすの私がパラリンピックを音楽で応援するという図は話題になるに違いない。そんなことは全く考えていなかった。車いすバスケも1年程でリタイヤした私である。

自分はオリンピックを利用しているのかもしれない。ただ、それがパラリンピックであれば、それは私の心が全くそちらに向けて動いていなかっただけにさらに利用したことになる。

動機が問題。動機が心を動かす。それは自分の心もそう。周囲の心もそう。行動が無私で純粋であるかどうかが、行うもの、それを支援するもの、すべてのエネルギーになる。

中学校の時から無気力だった。悩む気力もなかった。無為に生きてきた。その私を動かしているのは「オリンピック」と「調布」というキーワード。

調布は私が18の時から、劇団に入ったり、住んだりしながらずっと一人で生きてきた場所。けがをしたときは、福祉で家族よりお世話になった場所だ。恩返しなんて偽善はない。ただ、調布でやりたかった。

30年住んだ調布にこだわること、オリンピックにこだわること、それは確かに何かを利用することに口実をつけることかもしれない。

でも、そのキーワードのお蔭で、まず、この自分の心が動いている。

オリンピックは私だけでなく、日本人一人一人がなにかのチャンスにできるはず。

自分の「時」にうまく合えば、であるが。いまでも震災の後遺症に苦しむ人もいる。でも、それでもオリンピックで希望をもちなおすことができるかもしれない。

それは、スポーツで勝つことかもしれない、英会話を試すことであるかもしれない、ものを売ってお金を得るチャンスかもしれない、自分の商売を世界に売り込むことであるかもしれない、日本の素晴らしさを世界に見せることであるかもしれない。

わたしもスポーツはできないけれど、オリンピックに音楽で参加するのだ。大きな目で見ると小さな成功、そして自分の中での100パーセントの大成功を目指したい。
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