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ドンと、ドンの笛の弟子、ドン主催の打・GAKUDAN四季のメンバー・ドンの息子てつ・そして俳優座現役女優YURIKOでおこなった、2019年8月2日「ここは、札幌時計台 はっぱのフレディ―音楽会」の顛末を話そう。
2か月ちょっとの稽古をしてのぞんだ時計台。 今年、正月に私の家にメンバーが集まり、結団式をやったものの、一人を除いて北海道と縁はなく、唯一の半札幌市民、ぷーこは、自分が言いだしっぺだったにもかかわらず、私は知らない、ドンがやるというからやっただけだと、全く協力する気配なし。
ドン一人が、「なんか、満員になる気がする。」とつぶやいていた。 トンにとっては最初は乗りかかった船だったが、結局、自分の愛する札幌の教え子が時計台ホールを探してくれ、その他何くれとなく手伝ってくれたことに力を得ながら、定年前の仕事の忙しさのなか、最後の二か月で20日に及ぶ練習と演出と宣伝活動、会計、連絡、なにより、すべての笛の演奏の指導とリードを行い、進行もMCも一人でやるという荒業を成し遂げながらも、いつものことなので、特に感謝もされず、相変わらずサンドバックとなり、皆のいろいろな不満も受けながら、平然とやっている。
周りに集まるメンバーはほとんど彼に頼り切っているというのが通例だったが、今回は違った。
まずは言いだしっぺの、いつもため息と不平の絶えない今までの私の知るぷーこの歴史の中で、最大の貢献を今回はみせ、札幌のラジオに宣伝を読ませ、時計台のチラシを持ち込み、協力者をゲット。札幌オリンピックの虹と雪のバラードの地下鉄チャイムを録音し、友達を沢山動員し、フラフラになりながら、接待した。
また、メンバーに最後に加わったのりこんは、突然、北海道新聞で勤めている親戚を使ってカラーで新聞に記事を掲載するという奇跡の幸運をもたらし、
YURIKOは相変わらず、目の障害や、80を超える年齢をものともせず、北海道遠方に、劇団関係者を結集させ、猛暑の中一度も休まず朗読の練習に稽古場に通う。
私は、皆の旅行の手配を早くに行い、、やめた前の会社でほぼ無視されたデザイン技術をつかって、なかなか出来の良いチラシと、PVを作り、フェイスブック等の宣伝を行うことで力を発揮。
pv
https://www.youtube.com/watch?v=ol_2hzaxrYw
練習する中で一番苦労したことは、時計台の鐘の音をどうやって、いいタイミングで最後の演奏にかぶせて鳴らすかということだ。
ドンは時間感覚が並はずれていて、MCをやりながら、演奏をやりながら、時間的なことは肌で感じていていつも時間ピッタリに終えることができる。
その自信があるからの執念といってもいい粘りで、何としても鐘のタイミングにこだわっていた。 プロの女優の朗読を、笛の合図で引き延ばしたり、ないはずの演奏を入れたりして間延びし、実際、かなり厳しいものがあった。
ところが、実際に時計台に来た8月1日。聞いてみると時計台の鐘は人力でねじを巻くというクラーク以来の旧式の時計であり、音も素晴らしくいい音ではあるが、とても小さいということが判明。
これでは、演奏がかぶさると聴こえない。
1日の昼過ぎに聴いた数回の鐘の音によって、「鐘の音は気にしないことにしよう」ということになりかかっていた。
ところが、帰る直前、もう一度冷房も入らない全開の窓の中で、鐘が時を知らせた。 その音の美しさにみな、聞き入る。アナログな音。拡声されない、静寂の中で聞こえるビルの谷間の小さな教会の刻の声。
ドンは、「これはすごい。」といった。「やっぱり気にする。」
そして、当日。 お客さんは、100人。150人定員だったが、150人だと4人掛けになる狭い椅子が、3人ずつ座ってゆったりとした満員だった。気温は50年に一度の猛暑。
そして葉っぱのフレディ―。
鐘のタイミングを知らせるドンの笛の合図は2回。「このまま行け。」だった。 今考えると、全体的に遅れていたのに不思議な判断ではあったが、ドンは、他の着地点を見つけていた。
YURIKOはお客さんの反応を見ながら、のびのびと朗読を続ける。本当は最後の演奏の途中を狙った鐘のタイミングは…。
「フレディ―は眠りに入りました。」 ちょっと間をおいて、鐘はなった。
みな、動作を止め、心の中で「奇跡だ。これは。」と思っていた。そして、演奏も朗読も何もない沈黙の中、観客を含めた全員が、8回の鐘の音に耳を澄ませる1分間。
終わった後の拍手はなりやまず、今回のドンの計算違いは、皆の紹介が拍手で聴こえないことだけだった。
ま、ドンがいるから、来年のコンサートは大丈夫に違いない。
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