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今日は大変な一日だった。
プロの出演者が二人決定した。
八丈太鼓の第一人者、奥山さんとビクターの民謡歌手、渡辺さんが出演を快諾してくれた。
この二人にお願いするに当たっては長い苦労の道のりがあった。二人とも企画した最初から念頭にあった。渡辺さんに関しては、2019/07/10クラウン歌手Wさんに再会に書いたものの、実は後日談がいろいろある。
尊敬する渡辺氏をなんとか出演に持っていくため、2時間以上かけて、何度も所沢まで通った。しかし、私のような、なかなか人馴れしない人間にとって、その場所はかなり居心地が悪く、距離の遠さも相まって行くのが精神的に困難になり、ちょうど、弟子に車をぶつけられて車がへこむという事件をいい幸いに行くのをやめてしまった。
数日後、先生の民謡を聴きに行き、手紙を渡した。
「ちょっと遠すぎて、通うのは困難になりました。本当は先生にコンサートに出てもらおうと思ったんですが、ちょっと今の状況では、先生の出番も少なく、お客さんを呼べるかも自信がないので。」
そう、いつものみじめなへたれ体験。
そして今日、相変わらずお客さんが来るかどうか全く分からないが、先生に2曲歌ってもらうようにプログラムを調整できたところで、緊張しながら電話した。
「歌ってもらえませんか。」
「構いませんよ。やりますよ。謝礼?気にしないでください。電車で行きますよ。日本を代表する民謡?南部牛追い歌なんかどうだろう。」
飛び上がらんばかりだ。南部牛追い歌。岩手の代表的な竹もの(尺八伴奏の曲)の民謡。この曲は渡辺先生のちょっと狂気が入ったような歌にぴったりだ。そして、オープニングのこきりこを渡辺先生が歌ったらどんなに格が上がるだろう。倒れて7年間のリハビリを経て、それでもその歌の中の狂気は健在だ。
そして、うまくいった勢いで電話した八丈太鼓の奥山さん。
これも、私のさらにすごいへたれ体験を経ての決定だ。
八丈太鼓は最初から胡弓の木場先生とともに、プログラムを飾る出し物として、考えていた。私の知る限り、奥山さんは八丈太鼓の最高のプレーヤーだ。即興を基本にする八丈太鼓自体が好きだが、沢山の演奏者の中、奥山さんは抜きんでている。
https://www.facebook.com/yoshio.okuyama.56
※ユーチューブで沢山演奏が聴けます。
その奥山さんのイベントに参加してみたりして、周りで衛星のようにうろうろした過去はあるが、結局一度もまともに話しかけたことがない。24時間八丈太鼓に友人と行こうと話し、飛行機チケットまで買ったが、台風で流れ、その後その友人は亡くなった。車椅子の私と八丈に太鼓を叩きに行こうと言ってくれる人はいなくなった。
最後のチャンスかもと思い、今年8月に24時間八丈太鼓のプレイベントに奥山さんが東京に出てきていたので、はるか江古田まで出掛けた。あわよくば、イベント中に勇気を出して奥山さんにいざ交渉だ!それは、渡辺先生に手紙を渡して逃げてきた帰りだった。時間には間に合わず、2次会の時間を目指して到着。
ところが会場は地下だった。どこからか、笑い声やもり上がる声がする。八丈太鼓の常で、酒を飲み、盛り上がりながら叩いているに違いない。
目の前にある警察に、「地下にいきたいんですけど、ちょっと中の人を呼んでもらえますか?」と言ったら、気の毒そうに「我々が行くと驚かれるんですよねえ。」と言われた。本当に行きたければそれでもお願いしたところだが、救いを求めて電話した荒井さんは、今日は参加しておらず空港にいたことから、このライブ会場に入る勇気もなく、結局すごすご帰ってきた。
同じ日に二人のプロを誘えなかったへたれDAYだった。
そんなへたれの私だったが、この数日、なんとかプログラムを決定しなければという焦りで四苦八苦していた。自分の歌をしみじみ聞いてみたり、木場先生の言う「お金をとってコンサートをするということがどういうことだかわかりますか?」という声やドンの「基本的にやりたくない奴は誘わなくていいんだ。」とかいろいろな声が聞こえていた。
琴のメンバーの一人が「できないからやめる!」と言いだしたため、プレッシャーを減らすべく、琴木星の参加は、予定の2公演から、1公演に減らすことにした。
お金はかかりそうだがやはり、どうしてもプロの助けは必要なことが分かってきていた。
八丈からの交通費や滞在費がかかろうと、どうしても奥山さんがいい、とドンに言うと、「そこまで腹くくっているなら、頼んだら?八丈はいいと思うよ。」と言われ、その一言で、いろいろな心配を乗り越えて、まずは、既に出演を約束している青ヶ島太鼓の荒井さんの紹介してもらい、連絡してもらった。そして、こそこそ見ていたフェイスブックの奥山さんに、初めて勇気を出して友達申請をした。
数時間後、申請承認の通知が来た。ドキドキする。
すぐ自己紹介をした。返事は…
「7月23日は、予定を入れました。8月10日は、他に予定があります。」
ん?
「入れた予定というのは、私のお願いしている件の方ですか。」
「そうです。」
どひょーん!!なんと、私が考えていた半分の謝礼で引き受けてくれた。
「私、結構人のこと、覚えないですが、あなたのことはおぼえていますよ。」
私がイベントで周囲をうろうろしていたのを覚えていたんだ。車椅子というのは居心地がわるいときも多いが、こういう利点もある。
へたれ体験も、最後に成功すればへたれではない。こうやってブログに書けるときには勝利している。
というわけで、いま進行中のへたれ体験については、まだまだ語りませんよ。
プロの出演者が二人決定した。
八丈太鼓の第一人者、奥山さんとビクターの民謡歌手、渡辺さんが出演を快諾してくれた。
この二人にお願いするに当たっては長い苦労の道のりがあった。二人とも企画した最初から念頭にあった。渡辺さんに関しては、2019/07/10クラウン歌手Wさんに再会に書いたものの、実は後日談がいろいろある。
尊敬する渡辺氏をなんとか出演に持っていくため、2時間以上かけて、何度も所沢まで通った。しかし、私のような、なかなか人馴れしない人間にとって、その場所はかなり居心地が悪く、距離の遠さも相まって行くのが精神的に困難になり、ちょうど、弟子に車をぶつけられて車がへこむという事件をいい幸いに行くのをやめてしまった。
数日後、先生の民謡を聴きに行き、手紙を渡した。
「ちょっと遠すぎて、通うのは困難になりました。本当は先生にコンサートに出てもらおうと思ったんですが、ちょっと今の状況では、先生の出番も少なく、お客さんを呼べるかも自信がないので。」
そう、いつものみじめなへたれ体験。
そして今日、相変わらずお客さんが来るかどうか全く分からないが、先生に2曲歌ってもらうようにプログラムを調整できたところで、緊張しながら電話した。
「歌ってもらえませんか。」
「構いませんよ。やりますよ。謝礼?気にしないでください。電車で行きますよ。日本を代表する民謡?南部牛追い歌なんかどうだろう。」
飛び上がらんばかりだ。南部牛追い歌。岩手の代表的な竹もの(尺八伴奏の曲)の民謡。この曲は渡辺先生のちょっと狂気が入ったような歌にぴったりだ。そして、オープニングのこきりこを渡辺先生が歌ったらどんなに格が上がるだろう。倒れて7年間のリハビリを経て、それでもその歌の中の狂気は健在だ。
そして、うまくいった勢いで電話した八丈太鼓の奥山さん。
これも、私のさらにすごいへたれ体験を経ての決定だ。
八丈太鼓は最初から胡弓の木場先生とともに、プログラムを飾る出し物として、考えていた。私の知る限り、奥山さんは八丈太鼓の最高のプレーヤーだ。即興を基本にする八丈太鼓自体が好きだが、沢山の演奏者の中、奥山さんは抜きんでている。
https://www.facebook.com/yoshio.okuyama.56
※ユーチューブで沢山演奏が聴けます。
その奥山さんのイベントに参加してみたりして、周りで衛星のようにうろうろした過去はあるが、結局一度もまともに話しかけたことがない。24時間八丈太鼓に友人と行こうと話し、飛行機チケットまで買ったが、台風で流れ、その後その友人は亡くなった。車椅子の私と八丈に太鼓を叩きに行こうと言ってくれる人はいなくなった。
最後のチャンスかもと思い、今年8月に24時間八丈太鼓のプレイベントに奥山さんが東京に出てきていたので、はるか江古田まで出掛けた。あわよくば、イベント中に勇気を出して奥山さんにいざ交渉だ!それは、渡辺先生に手紙を渡して逃げてきた帰りだった。時間には間に合わず、2次会の時間を目指して到着。
ところが会場は地下だった。どこからか、笑い声やもり上がる声がする。八丈太鼓の常で、酒を飲み、盛り上がりながら叩いているに違いない。
目の前にある警察に、「地下にいきたいんですけど、ちょっと中の人を呼んでもらえますか?」と言ったら、気の毒そうに「我々が行くと驚かれるんですよねえ。」と言われた。本当に行きたければそれでもお願いしたところだが、救いを求めて電話した荒井さんは、今日は参加しておらず空港にいたことから、このライブ会場に入る勇気もなく、結局すごすご帰ってきた。
同じ日に二人のプロを誘えなかったへたれDAYだった。
そんなへたれの私だったが、この数日、なんとかプログラムを決定しなければという焦りで四苦八苦していた。自分の歌をしみじみ聞いてみたり、木場先生の言う「お金をとってコンサートをするということがどういうことだかわかりますか?」という声やドンの「基本的にやりたくない奴は誘わなくていいんだ。」とかいろいろな声が聞こえていた。
琴のメンバーの一人が「できないからやめる!」と言いだしたため、プレッシャーを減らすべく、琴木星の参加は、予定の2公演から、1公演に減らすことにした。
お金はかかりそうだがやはり、どうしてもプロの助けは必要なことが分かってきていた。
八丈からの交通費や滞在費がかかろうと、どうしても奥山さんがいい、とドンに言うと、「そこまで腹くくっているなら、頼んだら?八丈はいいと思うよ。」と言われ、その一言で、いろいろな心配を乗り越えて、まずは、既に出演を約束している青ヶ島太鼓の荒井さんの紹介してもらい、連絡してもらった。そして、こそこそ見ていたフェイスブックの奥山さんに、初めて勇気を出して友達申請をした。
数時間後、申請承認の通知が来た。ドキドキする。
すぐ自己紹介をした。返事は…
「7月23日は、予定を入れました。8月10日は、他に予定があります。」
ん?
「入れた予定というのは、私のお願いしている件の方ですか。」
「そうです。」
どひょーん!!なんと、私が考えていた半分の謝礼で引き受けてくれた。
「私、結構人のこと、覚えないですが、あなたのことはおぼえていますよ。」
私がイベントで周囲をうろうろしていたのを覚えていたんだ。車椅子というのは居心地がわるいときも多いが、こういう利点もある。
へたれ体験も、最後に成功すればへたれではない。こうやってブログに書けるときには勝利している。
というわけで、いま進行中のへたれ体験については、まだまだ語りませんよ。
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