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だから、私はコンサートをすることにした。

2019年、7月、会社を辞め、オリンピック開会式前日の2020年7月23日、調布グリーンホール。 オリンピック閉会式翌日の2020年8月10日調布たづくりホール確保した。 そして2020年3月24日オリンピック延期。新型ウィルスによる集会禁止。 一生に一度の地元のオリンピックで、外国から来た方に日本の音色でおもてなしをするという企画が、未曽有の事態によって、違う方向へ。 いつも最悪に見える人生のタイミング。運命は自分にいったい何を教えようとしているのか。 たった一人の音楽パートナードンとドンキホーテのように無鉄砲な企画に立ち向かう名もなき車いす。空を飛べるか。

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クラウン歌手Wさんに再会

1年後コンサートで歌を歌うことを考え、心の師の所を訪ねた。

クラウン歌手のW氏。2001年年ぐらいに障害者訓練校の時、視覚障害者の民謡サークルに参加して、ほんの少し交流があった。
10年後に所沢まで訪ね、ほんの少しの間、歌のサークルに参加し、2011年5月末のうちの団地の火事の混乱で行かなくなってから、さらに8年経過し、また歌を習おうと訪ねた。
ちなみに、W氏は私がそこにいた時を含め、20年の障碍校の視覚障碍者へ民謡を教え続けたことの功労で表彰されている。

おそらく80ぐらいのお年ではないかと思っているので、電話をかけることを躊躇した。
しかし、名刺の電話は変わっておらず、「覚えてますか?」「ああ、覚えていますよ。ありがとうございます。」
声は相変わらず張りがあって、力強く、ただ少し入れ歯なのか思われる舌が回らない感じがあった。歌手であり、地元の名士であるが、腰が低く、明るく、礼儀正しい、私に言わせると神的な人だ。
 
待ち合わせの所沢と新所沢を間違え、結局、教え子の車で新所沢まで迎えてくださった。
相変わらず若々しいがかなりやせてしまっている。聞くと、脳梗塞で倒れて、7年間のリハビリをしたとのこと。

おそらく気持ち負けるような方ではないので、会わなかった8年、力強く歩んだのだと思う。けいこ場で弟子たちに激を飛ばし、誰よりもいい声で歌う姿は全く変わりなかった。正直倒れる前と比べれば、声量と音程の正確さが少し落ちているような気がするが、脳溢血の後遺症で右手を下にぶら下げた状態の人の声ではない。

稽古場には以前同様、たくさんの尺八を持った尺八担当と、太鼓担当と、三味線弾きが3人そろって稽古にきていて、やりたいという歌をすぐに伴奏つけてくれる。楽譜もみていない。歌っている人たちも8月の大会に向けて練習しているが皆レベルが高い。別世界なのにみんなにこにこと新参者を受け入れてくれる。グループの空気というのはそこにいるリーダーが作るものだ。

W氏が「お歌いなさい。」といったので、歌わせてもらった。磯原節だった。
自己流の歌い方で、k先生には「本当はあんなふうに歌うものではない。」と言われていた唄だ。

「うまい!!」8年前と同じの絶賛だった。「すごくうまい人が7年みっちりやった歌だ。この人は何を歌っても上手いはずだ。」

W氏に言われたら、私は本物だと思う。W氏が本物だからだ。W氏の歌は、魂が入っていてなにか狂気のようなものさえ感じてしまう。だから、二時間半もかけて所沢まで来たのだ。

私は褒めてもらった興奮冷めやらぬ気持ちで、オリンピックのコンサートのためにグリーンホールをとったこと、そのために一年間歌を練習したいことを話した。「こんな歌い方で、1300のホールで大丈夫ですか。」「ええ。素晴らしいよ。」

私は、そのことよりも、なんとかW氏にもコンサートで歌ってもらいたいと思い、何を歌ってもらうべきか考え始めた。

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