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だから、私はコンサートをすることにした。

2019年、7月、会社を辞め、オリンピック開会式前日の2020年7月23日、調布グリーンホール。 オリンピック閉会式翌日の2020年8月10日調布たづくりホール確保した。 そして2020年3月24日オリンピック延期。新型ウィルスによる集会禁止。 一生に一度の地元のオリンピックで、外国から来た方に日本の音色でおもてなしをするという企画が、未曽有の事態によって、違う方向へ。 いつも最悪に見える人生のタイミング。運命は自分にいったい何を教えようとしているのか。 たった一人の音楽パートナードンとドンキホーテのように無鉄砲な企画に立ち向かう名もなき車いす。空を飛べるか。

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Aちゃんに紙芝居をやってもらいたい
いつか自分のコンサートを開くなら声をかけようと思っていた人がいる。Aちゃんだ。

何故かちょうど、この間のお葬式でそのお兄さんに再会し、妹はどうしているか聞いた。最近中国に行った彼も帰ってきたし、元気でいると。

メールしたが返事がない。電話番号を兄に聞いて電話した。出た。
「はい。まあ!なにかご用でしょうか。」
ああ、そうだ。こんなハイトーンヴォイスだったなあ。と思いだす。5年ぐらいである。

「お茶でもしましょう。」
なんと、今日は気分もいいからと、15分後には私の最寄駅まで来てくれた。

デニーズでドリンクバーと、何か甘いものをご馳走しようと思った。もじもじと希望が決まらないので、特に食べたくもなかったが、自分が先にこのパフェをお願いと、マンゴパフェを頼んだら、「タワーパフェですね。」と店員が言う。よく見ると値段が1200円以上。「うわ。高え。」大きくつぶやいてしまった。気を大きく持とうとしても失業者である。
結局普通のパフェにした。その勢いでAちゃんは一番安そうな小さなパフェを頼んだ。

そうやって気を使いあう私とAちゃんなのだ。

Aちゃんは発達障害ということだが、あっていないこの5年はひきこもり、ついこの2か月前ぐらいから、薬があってきたようで、調子がよく、キャドの学校などに通い始めた。

お母さんはかなり活動的な紙芝居作家で、切り絵の素晴らしい紙芝居を作って、紙芝居の団体を主宰していたが父親とともに続けてなくなり、Aちゃんが落ち込んだ原因にもなった。

Aちゃんの5年は止まっていたようで、自分では白髪が増えたといっているがまったく5年前のままで、相変わらず知的でおしとやかだが、中身の子供っぽさが消えないひとだ。

「リンゴ追分に紙芝居をつけたいんだよ。昔話したことがあると思うけど。」

最初はそうでもなかったが、しばらく話を聞いているうちに、「なんだかおもしろそうですね。」と目を輝かせた。5年間ひきこもっていた時を飛び越えて、5年前に相談した時にもどっているようだ。

「あってもなくてもいい。一年あるから。チラシにも載せないから考えて。あとで私が歌ったリンゴ追分、アドレス送るよ。」

そのあと彼女が世話になった民謡のK先生のところの連れて行った。今度のコンサートで活躍してもらう予定の87歳。現役バリバリの三味線ひきだ。

先生は喜んではじけながら、昔のようにいろいろの軽口をたたきながら、本当嬉しそう。いつ、お琴サークルにもどってくるの?」

そして、Aちゃん笑顔で帰って行った。いろいろ不安の中で生き続けている。期待しないで、でも紙芝居をつくって、そして演じる気持ちになってほしい。

1300のホールに大きなスクリーンでフミちゃんのオリジナルの紙芝居がうつっている場面を想像している。



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