"オリンピック"カテゴリーの記事一覧
-
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
-
自宅で軟禁中である。ネットでコロナの検索ばかりしている。
もともとテレビはほとんど見ないので、情報はインターネットで得ている。時たま、テレビの報道はどうだろうと思ってみると、意外に危機感がない雰囲気。東北大震災の時は国内の死者が多いので、番組に自粛ムードが感じられたが、今回は一番人が死んでいるのはまだ外国なので、特に自粛ムードはなく、相変わらず、阿部のマスクだ、小池人気取りだとか政府の悪口ばかり言っている。
私はiSP細胞でノーベル賞を取った尊敬できるお医者さん、山中伸弥のコロナ解説や、山中さんの発信する情報と、政府の情報を中心にみている。
https://www.covid19-yamanaka.com/index.html
山中さんのコロナに対する解説は、3月の初めから今に至って、だんだん緊迫感を強めていて、日本だけが、今、恐ろしいことになっているほかの国のようにならないという理由はみあたらないと言っている。人間が正しい行動をとれば、1年かけてでも勝てる可能性がある、とは言い続けている。
そんな中で、軟禁中の野外運動と言い訳しながら、友達と二人で近くの川べりのベンチで花見をした。姉のいるフランスなら、許可書が必要で、一時間内運動のためなら許されるが、実際酒など飲んでいるのだから、罰金を取られる行動だ。
ぽかぽか陽気で、点々とあるベンチでは、数人が静かに花見をしている。
まさか、こんなことになるとは思わなかった、とか、世界はきっとウィルスで変わるとか、明日はどうなるかわからない身の儚さを、葉桜の下で話した後、じゃ、と道で分かれ、久しぶりに国領のイトーヨーカドーに入った。
すると、いまの話は何だったのか、という別世界だった。
マスクこそしている人がほとんどだが、イトーヨーカドーは普通の幸せな週末の真っただ中だった。人でごった返している。買いだめ?買い込み?いや違う。物は豊富にそろっている。トイレットペーパー、ティッシュ。一時競って買われた紙が充分の量、山積みになっている。でも、この近日、誰もが生活必需品をそろえただろうに、まだまだ買うものが沢山あるのだろうか。
自分は今、友達と川べりで飲んでいたのだから、全く非難はできないが、これはやばいよ、と思う。
家に帰って、山中さんの新情報で、感染者0に抑えたという中国南京の動画を見る。まるで宣伝用フィルムのような不気味さはあったが、山中さんが勧める動画だから事実なのだろうと思う。中国だからできることかもしれない。
https://creators.yahoo.co.jp/takeuchiryo/0200056742
https://creators.yahoo.co.jp/takeuchiryo/0200060330
日本は唯一の非常事態宣言があるが、この切り札には、人を拘束する力がほとんどない宣言だという。今日、東京一日の感染者が100名を超えた。
https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/小池知事「命が関わっている。不要不急の外出控えて」-東京感染者、新たに118人/ar-BB129S8I?ocid=spartandhp
特に宗教もなく、人様の迷惑にならないように、という言葉で秩序が保たれている日本。でも、この非常時、それだけで大丈夫なのだろうか。今は、国内で批判しあっている場合ではないのではないか。PR -
『オリンピック延期』。
ついこの間、4週間の猶予を、と言っていた二日ほどの間に、急転直下。延期が決まった。
1週間ぐらい前から、もし延期になったら…という相談をずっとドンとしていた。
『もしダメだったらと考えると、意気が落ちるから、オリンピックがなくなってもやる方向で行こう。』と私が言うと、『いや、縮小したほうがいい。どちらか一日にしよう。』とドンは言った。
それは、ドンの最初からの意見だった。1300キャパのホールはほんの5分程で決断してくれたドンだったが、2回やることに関しては最後まで反対していた。そこを説得して今回の企画になったのだ。
『オリンピックの時に、日本の音楽を。』
このテーマがなかったら、大きなコンサートを開こうとは考えなかった。このテーマが全く知名度もない私にも、何か特別で奇跡的なチャンスを与えてくれるのではないかという希望を感じていた。
オリンピックがないのに、オリンピック期間前後に2回開催しても仕方がない。これが一つ目の結論。
次の選択はオリンピックの延期に合わせてもう一度リベンジするかどうか。
たづくりで2回やるということが当初の計画だったのだし、たづくりで1度やって、来年本当のオリンピックでもう一度やってはどうか。とドンに言った。
『なおちゃん、すごいね。』ドンにそんなことを言われたのは初めてだった。『すごいけど、次のことを考える必要はないよ。自分も来年やれるかといわれると、自分はわからない。』実際、考えると、私自身、もうこれ以上失業状態を続けるわけにはいかない。
また、今面白いメンバーが集まり、いいものができ始めている。幸いにして早めに練習を開始したため、たとえコロナで一人一人が引きこもったにしても、録音して都度共有したこともあり、やるべき課題ははっきりしている。
このメンバーを来年また集めるのは難しい。リベンジは考えない。これが二つ目の結論
次の選択は、ひとつにするなら、どちらの会場にするか。
イメージできるし、手が届きそうなのはたづくりだ。もし2回やるとしてもたづくりが理想。しかし1回だとしたら?そして、取材を自らもちかけ、集客に必死になったあのエネルギーを生み出したのはなんだったか?
私は思い出す。夜の3時に家を出て、4人の友達に電話を頼み、たった一日突然空いたグリーンホールを取った日のこと。取れました、と赤毛の受付嬢が言った時の感動。
そういうわけで、以下の文章をホームページに掲載することにした。
=============================================================
”コロナの速やかな終息と、世界の平和と秩序が戻ることを祈ります。”
オリンピックは延期になりました。イベントは軒並み中止になっています。
オリンピックの機会に「日本の音色」を奏でることで、調布から平和の祈りを世界に発信する、という夢をもって始めたこの企画です。
イベント中止は考えていません。 この企画でつながり始めた人の縁を大切にして、今しかできない方法を模索していきたいと考えています。
日程は7月23日(木・祝日)のみの開催に変更いたします。
まえだなおこ・福原幸三郎 -
昨年の7月に大きな会場を借りてから、ずっと、コンサートの準備に没頭している。
もともと、音楽グループの末端で、なにか演奏があるたびについて行って演奏するぐらいしか趣味もないし、人はあまり得意じゃないので、何事も出しゃばらず、お誘いいただけば有難く演奏するけれど、特になんのお世話もしないというスタンスでやってきた。
今回、主催になって、自分の演奏だけでなく、全体を見なくてはならなくなっての進化は自分で言うのも何だが、大きい。
演奏するにあたって、
人の音と自分の音を演奏しながらすべて聴く。
楽譜・録音などで、正確に人に伝える。
共演相手と会わせるため、呼吸が伝わるように工夫する。
相手の音の見せ場は邪魔をせず、音を抑える。
音響について考えながら編成を考える。
テンポを統一する。
時間を意識する。
etc…こんなことは音大を出た人には入門編だろうが、今まで一介の素人グループの末端で、人の演奏の良し悪しについて、注意を向けたところで何も変える力はないので、人の音に集中してこなかった。ああしたい、こうしたいが生まれないようにしたほうがいい気がしていた。しかし集中してみると、何かを変えなくてはいけない。いろいろな人に意見を聞いたりして逃げたりするが、纏まりがつかないので、私が決めないといけない。
頭をぺこぺこ下げながら、なんとか大声を出して合図を出したり、手をたたいたり、説明したりするようになってきた。
いつも相手に任せていた合図も出し、テンポを合わせるために大げさに体をふってみたりする。
打・GAKUDAN四季主催のドンはいつもリーダーなので、いつも演奏では前に立ってより派手にアクションしているが、自分は太鼓の掛け声さえ恥ずかしかった。『どうしたら、恥ずかしくなくなるんですか。』と聞いたことがある。そしたら、『リーダーになればいいんだよ。』と言われた。
その一言、ずっと忘れていないが、確かにリーダーは恥ずかしがっている場合ではない。
そんなこんなで、家には箏用のA~Gまでの調子笛しかなく、キーボードもなく、楽譜の記号もよくわからない私が、最近はスマホで、500円でコーダナコンポーザーというアプリをいれて、スマホの小さな鍵盤で短い楽譜を作り、今度はそれをパソコンに入れた楽譜作成ソフトに入れて音を重ねていって楽譜を作り、ドンに貸してもらったトラックレコーダーで、コーラス隊に歌ってもらいたい4部コーラスを録音した私の進化を見てください。 -
昨日は50歳の誕生日だった。
50年よく死なずに元気でやってこられたと、朝焼けを見ながら感謝しつつ、朝の公園掃除を終えてから、舞台監督をする予定の中さんの元奥さんのお線香をあげにいった。
帰りにあかさんに、『今日誕生日なんですよ』といったらお昼をおごってくれた。
そのあと和楽器の会に胡弓を持っていき宣伝しようと思ったが日付間違えで誰も来ておらず、もう日は沈もうとしていて、誕生日は終わろうとしている。でも誕生日おめでとうというメール1本来ない。しかしよく考えると自分も人の誕生日などまったく気にしていないことに気が付いた。
おごってくれた赤さんの誕生日も祝ったことないなあ、と考える。どこかに行こうか。誰か誘ってみようか。
さみしくて、またあかさんに連絡した。『予定がなくなりました。飲みに行かないですよね。』と聞いたら、あの出不精のあかさんが『いいよ。相撲見てからね。』といって付き合ってくれた。
そういう弱いところを見せたるは珍しい私だが、今日は本当にあかさんにたすけてもらった。
自分は人生の負け組だというあかさんを、コンサートで司会をしてもらったり、お芝居をやってもらったりしようとしていたが、耳は遠くなっているし、体力もなくなっている。そんなことはわかっていたけれど、一緒にやろうと最初は思っていた。でも、途中で常識に負けた。
まあなるようにしかならない。精一杯考えて選んだ結果だ。進むのみ。 -
チラシ第2弾をどうするか。
1000部印刷したチラシは、いま、手元にはほとんどなくなってしまった。前回は裏表、同じ図案の日本&英語バージョンだった。今回は裏面に出し物の地図、コンサートの概要、ゲスト、内容を入れたものを最初作った。
つまり、表面は今までのチラシの図案のなかに2か国語を入れるから、情報量2倍。
そして裏面には日本人に向けた情報を日本語。まったく日本の音楽を聴いたことがない人向けの情報を英語、そして共通情報を2か国語、地図などの情報のほか、アクセスの英語ページのQRコードを入れる。
……無理やろ、それ。
チラシはパンクしてしまった。
結局裏面入りのものは4月以降へ持ち越し、せっかく作った裏面はとりあえず、ホームページに利用することにする。
4月までのつなぎとしての第2弾チラシは、前回と同じイラストにさらに情報を詰め込み、前回と同じように表裏で、日本語/英語の2バージョン。前回のものから情報量だけが増えることになる。
あとの課題は以下だ。
1、(前回の問題点のクリアとして)『ワークショップ』の宣伝を目立つようにすること。
2、(前回の問題点のクリアとして)日程を目立たせること。
3、スマホユーザー向けに、簡単にホームページに飛べるようQRコードを付ける
4、出演者の宣伝用に団体名を入れること
5、チラシを置かせてもらうため、後援を入れること
6、会場からのお達しである、販売情報、定員などをいれること。
さらにやっているうちに、日本語版には出し物のタイトル、英語版には日本の『民謡』『盆踊り』『郷土芸能』などの”キーワード”をどうしてもいれたくなってしまい、また、演目についてのイラストもさんざん探し回った末に結局、統一感の問題で自分で描くことになる。
何日もパソコンにはりついて、ついに本日、姉の英語チェックが終わるのを待つところまで来た。予定より半月遅く、印刷に回すことになる。
2千部印刷して、つなぐ。本当は4か月以前にチラシをまいてもあまり意味はないといわれているが、チラシという古典的な方法をどうしても捨てることはできないのだった。
思えば、昨年7月、職業訓練を1年やって集団就職会で入った大きな会社のデザイングループであまり評価を得られず、自己管理もできず、鬱状態で、しまいにはレシート検閲の仕事に回され、退職した私だった。
自分のコンサートのために力を振り絞って作ったチラシ。公演近くなったら、前の会社にもゲリラ的に送ってみよう。みんな、電気の消えた暗い部屋でお昼をたべながら見てくれたりするだろうか。
まだ、英語チェック、返事が来ていないが載せてみよう。
-
年末、一人もくもくと30枚の年賀状、50通のメールを書き、7月、8月のイベントについてお知らせすることにした。今回は親戚一同にも声をかける。
私は子供の頃から、親戚が苦手で、親戚が遊びに来ると奥の部屋に逃げ出した。家とか家族というものに居心地悪さと嫌われ感を持っており、結局家族を離れて東京に出てきて、結婚もしたいとおもわなかった。寂しさはいつもあったと思うがそれを、特に家族には見せなかった。
そんな私なので、何をするにもあまり家族に報告・連絡・相談でつながっていない。コンサートについてもラインでちょっと報告して、あとは、一体どう思っているんだろう、と恐れて近づかない。
しかし、先日実家に帰ってみると、誰も見てくれていなかったブログを、家族はちゃんと読んでくれていることが分かった。そういえば母親に相談した時のことも書いたなあ。あんなの読んでたんだ。(8月抽選最終日 ドンと母親の反応)恥ずかしいなあ、と思うが、母親は今回東京に戻る直前に、東京に住む親せきの住所をいくつかピックアップしてくれた。きっと、母親もどうなるものやら分からない娘のコンサートを親戚に知らせるのは恥ずかしいだろうが、それなりに決意しているんだと思う。
姉の友人は、ほとんど交流のない私を食事に招いて、外国の友人を紹介してくれた。お世辞にも、あまり人に尽くしているとはいえない私に、いざとなると血縁との絆を持つ人が、事情を差し置いて駆けつけてくれる。
そんなわけで、結局、今年中にコンサートの本チラシを作るという予定もかなわず、31日夜中11時ごろ、メールを送るだけにして国領神社にお参りに行く。おなかの調子が悪く、一度家に戻り時計を見たら12時半。あわてて、メールを一斉に出す。いつも後手後手に回っている。
実家に帰らない時は、国領神社の目と鼻の先に住む、打・GAKUDAN四季のちよさんと12時からなり始める太鼓を叩きに行ったものだ。一緒にここでお参りして、お神酒と甘酒と長寿箸をもらって、たき火に当たりながら飲んでいたっけ。
昨年はちよさんの追悼コンサートだった。もうここにちよさんはいない。
(2015年ちよさんと)
前に並んでいるカップル頼んで、小銭を賽銭箱に入れてもらう。にこにこしながら「階段のうえに運びますよ。ちょっと酔っぱらっているけど。」とその仲間たちど言ってくれるが、笑顔でお断りした。「下でお参りしますから大丈夫!」
お賽銭を振り返って入れてくれた。一緒に手を合わせる。
最近、神様には、お願いをするのではなく、感謝をするのだと聞いて、そうすることにしている。
考えてみると、すべて望むことはかなえられていっている。自分がやりたいと思い、1800の座席のホールでコンサートをする段取りまでできている。想像することが怖くて真っ白にみえていた近未来が少しずつ形になってきている。。
こんな無謀な企画に沢山の人がかかわってくれている。
それでも、不安だったり悲しかったり不満だったり寂しかったりする。うまくいったことより、うまくいっていないことが気になり胸が苦しくなる。
神様は願いをかなえてくれる、いやすでにかなっているのだから、笑顔でありがとうという。それができることがハッピーなのだ。今年は一年、ハッピーな年にする。
そのあと、お神酒をいただき、お箸をもらう。神社の役員の方が「最後です。」といった。
なんと、私は配られる長寿箸の一番最後にありついたのだ。「あ、福がある!」と私は言った。
太鼓を叩くのにお賽銭はいらないが、いつものように千円箱に入れた。
「前田家のご多幸に三本締めを!」
神社の方が皆で三本締めをしてくれる。一番大きいばちを持たせてもらい、大太鼓に向かう。大きな太鼓の前で腹に力を入れると、お腹と太鼓がつながったような気持ちになり、叩くのがうれしくてたまらない気持になる。
三回。「どん・どん・どーん!」
気分爽快。拍手をいただく。
ああ、気持ちよかった。でもあまり大きな音が出なかったな。もっと近づけばよかったかな。せっかくの3回、もっとゆっくり味わって叩けばよかった。…あ、いかんいかん。いつもこんなことばかり考えるからハッピーになれないのだ。
一人でこんな寒い夜にここまでこられた。お参りして太鼓も叩いた。願いがかなったぞ。
メールが来た。ミュージシャンで映画にも出ているKさんだ。福岡で活動している。「来られるかわからないですが、あなたの生き方は素敵だと思います。」寒い帰路、心が温まった。
さて、かつての仲間とどれぐらいつながれるだろうか。 -
ホストタウン、一番重要な調布のホストタウンにメールを出すことにした。
それはどこか。
サウジアラビア!
最近即位の例で、頭に頭巾をかぶっているひげだらけの人々を見たが、調布でも、先日初めてサウジアラビアとの交流を役所前で行っているらしい。
サウジアラビアで出てきた大使館のホームページのメールリンクから、以下のメールを作成した。
____________________________________________
令和元年11月14日
在サウジアラビア日本大使館広報ご担当様
なおこの会代表 前田直子
「日本の音色」コンサートのご案内送付についての打診について
拝啓 日本では霜降の候となりますが、御国におかれましてはいよいよご清祥のこととお喜び申し上げます。
私は、東京都調布に在住し、勤労しながら伝統音楽でボランティア演奏をしている市民です。
この度、調布市とサウジアラビアとの間にホストタウンという関係があるということを知り、お願いがありメールいたしました。
来年の7月23日と8月10日に我が調布にて、総勢80名程が集結し、グリーンホールとくすのきホールにて和の音色と各地の芸能を取り入れたコンサートを行います。
さまざまな国の方が集まるオリンピックという機会に、私たちの練習してきた自国の音楽を披露し、日本への理解を深めてもらいたいと思っています。
調布市、調布市教育委員会、調布コミュニティー財団より後援をいただいており、また、東京都byond2020に登録しています。
まだ来年の夏となりますと、遠い先になりますが、初日はオリンピック前になるため、前もって日本在住のサウジアラビアの方々はもとより、オリンピックイベントの為に本国から日本に来られる方にコンタクトをとる必要があります。
本国の観光協会やサウジアラビアのコミュニティーにチラシやホームページアドレスなどをお送りしたいと思っていますので、そういった広報物の送付先について教えていただくか、転送していただくことはできますでしょうか。
また、いつごろお送りするのが妥当でしょうか。
今後も続く、サウジアラビアと調布の国際交流を盛り上げることができれば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
敬具
記
日時・会場 2020年7月23日(木・祝)
〒182-0026東京都調布市小島町2-47-1 調布市グリーンホール 大ホール
2020年8月10日(月・祝)
〒182-0026東京都調布市小島町2-33-1 調布市文化会館たづくり くすのきホール会場
特設ホームページ
https://nihonnoneiro.com/
※随時更新予定
byond2020ホームページ
https://culture-nippon.go.jp/
※「日本の音色」で、検索できます。
添付資料 仮チラシ
=============================================================
そして、ふと、送ろうとしているサウジアラビア大使館のホームページを良く見てみた。
それは日本ではなかった。
現地在住の大使館。
ん?それ、いいんでない?
日本の大使館でなはく、現地に行くのだ。現地にいる人が開会式より前に知ってくれれば、到着したとたんに調布に向かってくれる可能性があるではないか。
でも、日本語で書かれたら読める人はもしかしたら大使しかいないんだろうか。この長文、えらく迷惑な話だなあ。
まあいい。
サウジアラビアに小さな地方のコンサートの宣伝をする人はどれぐらいいるんだろう。そして、それに興味を持つ人がいるんだろうか。
海に手紙を入れた瓶を流すような気持ちで砂漠へメールを送った。 -
表題の件、7月からずっと考えている。
人に相談したり、自分でも無い知恵を絞っている。yahoo知恵袋に相談を書き込んだが、どこを見れば答えが見られるのかわからなくなってしまった。駅にポスター貼ったら?という答えにお礼も言わないうちに、自分の質問はうずもれていた。
今のところ表題の件だけに絞るとこんなアイディアがある。
1、国際交流協会に案内を置く。
2、大使館に案内を送る。
3、オリンピックに向けたイベントでの街頭演宣伝活動。
4、各ホストタウンに案内を送る。https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/hosttown_suisin/gaiyou_dai1.html
5、SNSを利用し英語で宣伝する。
6、日本ツーリスト、京王観光などのツアーに組み込んでもらう。
7、個人ツアーを行っている人とつながり、ツアーに組み込んでもらう。
8、調布のホテルにポスター貼る。
9、調布近辺の(外国人がよく行く)くるくる寿司、ラーメン屋にポスターを貼る。
10、日本政府観光局(JNTO)のホームページに何とかのせてもらう。
11、夏季合宿を受け入れる外語学校に資料を送る。
12、エアR&Bサイトにつながる。(個人で宿泊場所を提供するコミュニティー)
鼻息荒く書いてみたが、なるたけ、自分が英語を使ったり、国際交流をしなくていい方法に逃げている気もする。味の素スタジアムから流れ込んできた、陽気に酔っぱらって歌を歌っている巨大な白人たちを思い出す。あんな人たちがロビーに沢山来たら、見つからないように逃げ出しそうである。
まあ、
13、国際交流ボランティアに参加する。
ということも考えた方がいいかもしれない。アラフィフの私は、やはり無意味にでも苦労しないと幸運がつかめないような気がしてしまうのだった。しかし英語なあ~! 今から?無理っしょ。会場を並んで取った時に知り合った、英語サークルの人はどうしているかなあ、なんて思う。
1~12の中で、最後の8~12は、昨日団地の7階に住む米さんのニューヨーク在住の娘さんにかじりついて意見を聞いた結果、いただいた貴重なアイディアだ。
困った時に頼るホテル、外人が好きなくるくる寿司、ラーメン屋、JNTO、夏季合宿の外語学校、エアR&B。外国に住んでいる人にしかわからないキーワードだ。
そして私の周りの年上の人たちに勧められた大使館へ足を運ぶということ・・これは娘さんに却下された。
外国にきて、何をしようかというとき大使館に行く人はいない。また、資料を置くという考えも、時代遅れになっている。みんな、ネットなのだ。わざわざ資料を取りに行く時代じゃないんだ。
私たち車いすには、ありがたい時代かもしれないが、年配の友達から言わせると、車いすで行くからみんな協力してくれるんだ、という。昔の人からは苦労すること、直接話すことを勧められる。
本当に動かないで、メールはSMSから求めてくるつながり情報のいかに多いことか。今まで避け続けていた世界に足を踏み込み始めた私は、自分のペースがかき乱される。この数年ほとんどテレビを見てもいないのだ。
自分のやり始めたことのため、私は目を開け、耳を澄まさなければならないよう、追い込まれていくのだった。 -
一週明け、また街宣行う。
今回はドンは笛のお弟子のYさんを連れてきて、チラシまきを手伝ってもらった。
Yさんは結構街宣が気に入ってくれたらしく、「今度三味線で、西馬音内盆踊りやります。」と言ってくれた。街宣も賑やかになると楽しくなる。 -
街頭演奏。ドンを誘う。
ドンが「本当かよ。」と驚く中、私は警察の斜め前で、準備を始めた。
もともと、頼まれればどこでも笛を吹く笛吹き童子のような男だ。うまく乗せればやってくれる。ただ不安材料は一つだけ。
警察に注意されないかということ。
ドンは前、響きがいいという理由で、競馬場の前のチケット売り場あたりでよく笛を吹いていて、警備員に注意されたり、江戸博物館の屋上で笛を吹いて警備員に注意されたり、こっそりたてもの園の銭湯のなかで笛を吹いたりしているが、やはり警察はこわいらしい。
「昨日は警察はこちらを見てリズムをとりながら去って行ったよ。」
というと、しぶしぶ吹き始めた。
私の小さいスピーカーで拡声された音は素晴らしかった。
昨日と違って、すぐに黒人さんがじっと聞き入り、千円を渡しに来た。
「No,No・thank you!」
私はお金を断ってチラシを渡した。にこにこ笑っていた。
人の食いつきが違う。
私は胡弓を持って食い下がるが、彼は顎でチラシを指す。
仕方ない。チラシ配る方に専念しよう。
一時間ぐらいでドンは去って行った。なんとなく手ごたえは感じたようで、ほっとした。
今年チラシをまいても効果はないが、今回のパブリックビューイングは来年のオリンピック期間のリハーサルなのだ。
残った私は、本日の日本の試合を、残って駅前大スクリーンで見上げていた。
勝ったら君が代を弾きまくろうと思っていた。
とにかく君が代を演奏するということに馴れなくては。だが君が代をひくタイミングを間違えるとその場から浮いてしまうという恐怖がある。特に私は車いすで、雰囲気もドンのように明るくないので、かわいそうな人に見えて、避けられるという可能性は他より高い。自分の中でスイッチを入れないといけない。
ものすごい応援。かつてない躍進だった日本。決勝まであと一歩。しかし……。結果は南アフリカの前に崩れ落ちた。
本日が最後のワールドカップ日本戦。
負けても弾くべきたったかもしれない。終わって即座に始まった止まらないで進んでくださいコールの中、私は逃げるように帰りの列に加わった。
街頭演奏で昨日一歩の前進をしたが、君が代の演奏については、まだ高い壁がある。どんなことでも怖気を突破する一歩さえ踏み込めば、当たり前の日常になると思うのだが…。