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みんなが引きこもっている。コロナのせいだ。
たいていの日本人はワーカホリックなので、じっとしていることに罪悪感を感じて、理由を見つけては無駄に動かないと気が済まない。
しかし、今回は外で動き回ることが世の迷惑になるというめったにない状況である。なにせ国を挙げて、集会を禁止し、引きこもることを推奨している。だから、いや、動きたいのにうごけないんだよ、とぶつぶつ言いながら、ようやく、静かにしているのではないかと思う。
でも、私は基本的に引きこもるのが好きなタイプなので、このような幽閉状態はな幸せですらある。仕事をしていない罪悪感からもちょっと解放されるというところだ。
だが、喜んでいる場合ではない。ドンが言うように、日本の経済がやばいというのも確かだ。
震災だとか、台風だとか、ウィルスだとか、オリンピックを控えたた日本に次々に貧乏の風が吹き荒れる。…私が仕事をしていないからという話もあるが。
昔、日本は戦争でたくさんの人の死と究極の貧乏から立ちるため、努力して平和と幸せを求めて、一時は頂点に上り詰めるほどの豊かな国になった。戦争を何十年もしなかったことで、私たちの世代は、何でも選べる自由を手に入れた。
けれど便利に。楽に。早く。と極めてふと気が付いてみると、自然を破壊し、食卓には危険なものが並び、家事労働から解放された時間で、自分は幸せなんだろうかとばかり考えている始末。
私たちの次の学びの段階は、自由に手に入るのに、手に入れないことを選ぶという段階ではないかという気がする。もっと稼げるけど休んで楽しむ。ただでくれるけど必要ないからいらない。給料は高いけれど、価値を感じない仕事はしない、買ったほうが安いけど修理して同じものを使い続ける。うーん。私には難しいことだけれど、今の若い世代は、そういった感覚を持っている気がする。
こんな風に貧乏の風が吹くとき、家から出られず、引きこもらないといけないときこそ、必要なものはそんなに多くない、ということに気が付ける時なのかもしれない気がする。
空っぽの冷蔵庫の中から探し出した一つの梅干しで、普段よく味わっていなかったご飯のおいしさに気づくこともあるかもしれない。
いま吹いている貧乏の風が、私たちをいい方向に軌道修正してくれるといいと思う。
たいていの日本人はワーカホリックなので、じっとしていることに罪悪感を感じて、理由を見つけては無駄に動かないと気が済まない。
しかし、今回は外で動き回ることが世の迷惑になるというめったにない状況である。なにせ国を挙げて、集会を禁止し、引きこもることを推奨している。だから、いや、動きたいのにうごけないんだよ、とぶつぶつ言いながら、ようやく、静かにしているのではないかと思う。
でも、私は基本的に引きこもるのが好きなタイプなので、このような幽閉状態はな幸せですらある。仕事をしていない罪悪感からもちょっと解放されるというところだ。
だが、喜んでいる場合ではない。ドンが言うように、日本の経済がやばいというのも確かだ。
震災だとか、台風だとか、ウィルスだとか、オリンピックを控えたた日本に次々に貧乏の風が吹き荒れる。…私が仕事をしていないからという話もあるが。
昔、日本は戦争でたくさんの人の死と究極の貧乏から立ちるため、努力して平和と幸せを求めて、一時は頂点に上り詰めるほどの豊かな国になった。戦争を何十年もしなかったことで、私たちの世代は、何でも選べる自由を手に入れた。
けれど便利に。楽に。早く。と極めてふと気が付いてみると、自然を破壊し、食卓には危険なものが並び、家事労働から解放された時間で、自分は幸せなんだろうかとばかり考えている始末。
私たちの次の学びの段階は、自由に手に入るのに、手に入れないことを選ぶという段階ではないかという気がする。もっと稼げるけど休んで楽しむ。ただでくれるけど必要ないからいらない。給料は高いけれど、価値を感じない仕事はしない、買ったほうが安いけど修理して同じものを使い続ける。うーん。私には難しいことだけれど、今の若い世代は、そういった感覚を持っている気がする。
こんな風に貧乏の風が吹くとき、家から出られず、引きこもらないといけないときこそ、必要なものはそんなに多くない、ということに気が付ける時なのかもしれない気がする。
空っぽの冷蔵庫の中から探し出した一つの梅干しで、普段よく味わっていなかったご飯のおいしさに気づくこともあるかもしれない。
いま吹いている貧乏の風が、私たちをいい方向に軌道修正してくれるといいと思う。
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