"オリンピック"カテゴリーの記事一覧
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正直言って、外国の人との接点がない。
オリンピックに調布は外人さんだらけになっているという漠然とした認識だけはあるが、とてもしゃべりかける勇気はない。
だが、行かねばならない。あと3週でオリンピック前唯一の外人さんとの遭遇のチャンスは永遠に失われてしまう。
と、一人胡弓と大量のチラシを持って、この1か月間特に寄り付きもしなかった噂の調布のパブリックビューイングに行ってみた。
まず、胡弓の糸を買おうと思い行った和楽器店の前の道の行列に驚いた。
中心からちょっと離れた住宅街に近い道、いつもは地元民しか通っていない道に緑のユニフォームの列が!!。みんな、テイクアウトのお店に並んでビールを浴びるように飲んで、ひたすら盛り上がっている。試合前にもう出来上がっている。
楽器店のAさんも驚いていた。「ネットで調べるのかしらね。」
あとで知ったが緑のユニフォームは今日試合があるアイルランドの人たち。
どうもこのあたりの店がアイルランドの人たちの見るインターネットのページで紹介されているのだろう。他の地元で人気のお店はいつも通りの日本人でのどかなものだ。
アイルランドの人は人見知りだということを知っている。結構身内で固まり、外の人には心を開かないのを、中国で目撃した。
でも、私はわくわくしていた。ひとりぽつんと恥ずかしいという想像をしていたが、駅前はとにかく出店やいろんな外線音楽でにぎわっている。こんなにわさわさしていれば、どさくさに紛れて楽器の演奏をしても恥ずかしくもないわ!
というわけで、肝心な時にはいつも切れている胡弓の弦を張り直し、一番目立つ警察や出店会場入り口で胡弓を弾き始めた。
警察に注意されるかも、と恐れていたが、私の演奏に合わせてリズムをとりながら、通り過ぎてゆく警察。
べつに恥ずかしくないじゃん。
通る人の方が恥ずかしいから避けていくのかもしれないが。しかし勇気が出た一因は今日はアイルランド戦だから。私はアイルランド音楽が大好きで、胡弓で「サリーガーデン」と時計台で演奏した「ユーレイズミーアップ」「アメージングレース」を弾ける、とにかく弾きまくっていれば歓迎の印になる。
そうこうしているうちに、試合はどちらが勝っているのかもわからない歓声の中で盛り上がり、胡弓を弾いている図があまりに浮いてしまったので、試合が終わるまでと思い、ラーメン屋に避難。ついでにビールなど親父のように飲んでしまった。
その間胡弓の弓を二つに解体せず差し放しにし、入り口でラーメンをすすっているとき、ふと、後ろを通った人が、私の弓に引っかかったらしく、「あ、すみませんです。」と言いながら、出て行った。
おお、そのあとだ。弓が折れているのに、気が付いたのは。
自業自得ながら、総額6万の弓だ。GOD!
ラーメンの手を休め、「おれてるじゃん。」とうつむく私。涙目だった。コンサートのため、今まで一番安い花梨の胡弓で何年も頑張った末、ついに買うことにしたばかりの胡弓25万。これに弓が加わると30万となる。
しかし、涙をぬぐい、私はまた駅前に向かった。布テープをコンビニで買って弓をつなげてみる。ふと気づくとぼろ負けしたアイルランド人が大量に動き出した。終わったらしい。
よし、今こそ、国際親善だ。
私は一人、ひたすらに「サリーガーデン」と「アメージングレース」と「ユーレイズミーアップ」を、弾きまくった。わたしも30万を失なったのは辛いが、アイルランド人は、きっとそれぐらいの交通費をかけてここまでやってきて、スタジアムの券を買うお金もないかもしれない中の、パブリックビューイング。そして、今夜は日本最後の夜なのかもしれない。
通り過ぎてゆく緑ユニフォームたち。人影もまばらになり、疲れて帰ろうかとする頃、なぜか「Lisson!」と、胡弓を弾く私を指さして集まってきて、突然私の近くで、でも特に私に声をかけるでもなく、並びの花壇で記念撮影を初めた一団があった。
なんだ、別に私の胡弓をリッスンじゃないのかあ、とおもったら、突然こっちを向いて一人が頭を下げて、手を合わせた。
私の「サリーガーデン」が通じているんだ。と思った。国際親善成功。
だから私は、サリーガーデンが終わるとひたすら「アメージンググレース」弾き始めた。人見知りのアイルランド人の為に。
すると一人、どこかの仲間からはずれて携帯をいじりながら、一人の緑ユニフォームの女性が、こちらをちらりと見たと思うと、そのままちょっと離れて座った。
そしてそのままこちらは向かず、じっと座っていた。
座っているからにはやめられない。私はずっとたいしてうまくもないアメージングレースを弾きづづけた。でも、12月にたづくりの小さな音楽会に呼ばれて演奏する予定なので、木場先生のしかめ面を見ながら練習している曲。
弾き終わった時に人見知りのその若い女性はにこっと笑って近寄ってきて、「Wonderful!」といって何か差し出す。
じゃり銭だった。多分価値がよくわからない一円やら五十やら十やらじゃらじゃらしている。
私は「NO、NO」といって、チラシを差出し、「Please Come back Japan,Next Year .」と恐らくそのように単語を並べた。
「Oh、Orimpic!」
本日たった二組との国際親善。成功。PR -
以下の画像で裏表印刷に頼んだ。できたところでファンで盛り上がる調布のラグビーファンゾーンに置くつもりだ。
それ以降の手段まだなし。
せいらの鬼面太鼓、雅楽多の阿波踊り、打・GAKUDAN四季の四季の調べで表現する四季、そして海をテーマにした芸能が多い(砂山、磯原節、炎陣(鬼面太鼓)、北海民謡、八丈・青ヶ島太鼓など)ことから、こんな絵になった。
英語バージョンを訳してくれたのは二人の姉たち。フィリピンの英語講師の意見を聞いてもらったところ、いいとは思うが子供向けに見えるとのこと。
姉は、日本人はかわいいもの、アニメが好きなのだと説明したらしいが、確かに、外国のチラシというのは写真を中心にした大人っぽいものが主だ。仕事でデザインをしていた時はテンプレートというのはほぼ外国のテものが多かった。奇抜な配置と美しい洗練された写真。
その課題は本チラシに引き継ぐことにしよう。
特設ホームページ、チケット販売サイト、練習。やることは山積みだ。
とにかくお客さんを溢れさせたい。 -
中さんもドンも姉も後援をもらった方がいいというので、この数日、毎日規約やら名簿やら予算の作成をしている。
「日本の音色実行委員会」
要するに私財でやるんだが、形だけでも必要だとのこと。
なんだか、日がたつのが速い。パソコンの前にいると寝落ちしそうになり、脳みそが痺れてくる。
こんなことばかりやっているうちに、当日がきそうな気がする。
音楽はほっぽらかし。たった一人のお客さん集め。
そして、自分が人に見せるほどの芸があったのか、そう思えたことが不思議になってくる。
最近フェイスブックやYouTubeなどで、多芸な人たちのしゃれたライブや垢抜けた演奏を見るにつけても、自分がよりによって、こんな人たちでもやらない、大ホールを借りていることを思いぼんやりする。
一番、盛り上がった四季の全盛期の20周年、沢山いたGAKUDAN四季のメンバーは今は7人ぐらいになってしまった。
今いるメンバーもドンが休んだら、誰も来ないような状況。
すっかり四季を見放している元メンバーをまた誘った方がいいだろうか。会場は恐ろしく大きいのに、それをやろうという気持ちになれない。声をかけた人もいるが、返事もない。
だんだん寒くなり、年末は近づいてくる。来年の夏はあっという間にやってくるだろう。
私は祈る。”時間よ止まれ。” -
昨日、舞台監督中さん、司会を頼む予定の芝居仲間赤さんとドンで、結団式、と自分だけ密かに呼ぶ結団式を行う。
ドンは、私が参加を頼むことを予定していた数名に関して誘うべきでないという。私情を挟まずないこと。基本的に、参加したくない人は入れないでいいと。
それはあたりまえのように聞こえるが、私は、参加を渋るメンバーも、頭を下げて、一番実力を発揮できると思える出し物をやってもらい、最高の力を発揮する姿を見たいという気持ちがある。内弁慶な自分が客観的な目を曇らせているのかもしれない。
私は、最初は、自分のいいと思うものだけをやる!と豪語してはじめ、だからこそ参加費は徴収しない。しかし、結局、義理やボランティア精神が首をもたげてくる。そして、結局は、内容について正直に言って、本当にいいと思う内容か。そうでもない。
自分はいったいどうしたいのか。結局はそこだ。周りの人はすべて私を助けてくれようと参加しているのだから。
はなしの中で、チケットバックの話になった。
私が考えているのは、各団体に1万円払う代わりに千円のチケット一枚に対し、10パーセント、100円のバックの方が集客につながるということだった。
ドンは100円じゃモチベーション上がらないという。1枚につき200円。それを聞いた私は、1800人のキャパのホールを一人で資金調達するのに、たった一つの収入源であるチケット代のバックが20パーセントなんて多すぎると腹を立てた。すでに満員でも赤字の金額になっているというのに。
そして中さんにその話をしたら、50パーセントチケットバックするべきだという。
私は唖然とするのだった。 -
9月になった。
会社を辞めて2か月。コンサートの会場をとり、仮チラシとプログラム案と企画書ができているが、まだ決定ではない。
わくわくしているか?
いや、していない。
時々、九月末までなら、キャンセルしてもお金は戻ってくるという考えが浮上する。
昨日はインドのプレム・ラワット(マハラジ)のビデオ会を本当に久しぶりに姉と見に行く。半分以上居眠りをしていて内容はほとんど頭に入っていない。
自分を知りなさい。と彼は言った。
それが、私に対しての応援にも非難にも聞こえてしまう。
仮に作ったプログラム。面白いのかどうかわからない。最初は私のいいと思うものを並べることでどこかに統一感が生まれるような気がしていた。
気が付いてみると、自分自身が演奏したかったものがあったんだろうかという気持ちになっていた。
人に聴かせてもいいと思ってもらえるような気がしていた曲たちは、舞台が大きいため、子供だましだと言われひっこめたり、邪道だけれども私が歌うならばいいと自分で思えていた曲は、私よりは正統な人にゆずり、一年W氏に所沢まで習いに行こうとしていた民謡の練習は目的を失っている。
よく考えると、漠然と夢見ていた計画では、KATEBUSHのハローアースというグローバルな曲を一曲だけ英語でうたおうとか、かごめのオリジナル編曲で、皆でエキサイティングな私流のかごめ協奏曲をやる絵が浮かんでいた。
自分がいいと思う音楽をやり、自力だけで大きなコンサートはできないので、本筋の間に自分がいいと思える仲間の曲を入れて仲間にもいい演奏をしてもらいたかった。
人は自分の思い通りには動いてくれないぜ、とドンの口から出たけれど、誰かに言われるのを待っていたような一言が何度も去来し、そして、人に頼むのが苦手な私がいて、いまの私は、音楽にかける気持ちよりも、払うべき謝礼や、お客さんを呼ぶための方法で頭がいっぱいで、コンサートの内容自体は、古臭く、無難で、私が退屈していた今までの日常の発表のようになってしまっている。でも、どこかで自分はこうなるのではないかという予感がしていた。思うとおりに実現するという言葉のとおりかもしれない。
昨日は姉の、ジブリが世界的には受けるのでは、という話に心を動かされた。全く好きでもないジブリ。つい、「私はブラスバンドとかが今流行っている曲を演奏したりしているのを聴いて、ちっともいいと思えないんだよ。」と正直なことを言うと、姉は「人の好みは人によって全然違うからね。」と言われた。こういったやりとりは子供のころから姉との間にあったっけ。
そうか。外国人が喜ぶというコンセプトがあったな。
すっかり弱気な私である。砂山やふるさとを削り、ドンの得意なジブリを入れようかという気になってきた。自分の編曲で生まれ変わった砂山とふるさと。これなら無理せずできる、が、演奏だけ聞かせる自信がなく、結局、みんなで歌おうコーナーにしてしまったもの。
これを削ったら、あれ、自分は何をやるんだっけ。とちょっと思い出せない。脳みそがまた痺れている。自分がぼけかかっているような気がする。
さて、今日は何をやるんだっけ。就職活動はやめてしまった。一年間の失業保険ぐらし。今私を支える力は、これをやめたら、また、白黒の人生しかないという気持ち。やり始めたことを続けなくてはという気持ち。空想が呼ぶ力ではなく、空想が後ろから自動的に押してくる力。
ふと、今思い出した。居眠りしている間にマハラジが、自分を知りなさい。というほかに言った一言。
「あなたは強い。あなたは種です。そして雨は必ず降る。芽をだしなさい。」 -
ドンと、味の素スタジアムに行ってみる。
今週の日曜日、地元国領のふれあいコンサートのリハーサルを抜けて、調布の市長と話すので、その前に一度も言ったことがなかった味の素スタジアムを見ておきたかった。
話すなんて、実際一言も直接は離せないかもしれないが、無作為抽出の、「市長とふれあいトーキング」という企画の市民参加の一人にあたったのだ。
私は申込用紙に、「オリンピックに向けて、味の素スタジアムで屋外パフォーマンスをして、外国の方々をおもてなししたい。」と書いておいた。
正直、コンサートのチラシを撒きたいという下心がある。だが、他にも乗ってくる人はいると思う。
なにせ、一生一度のオリンピックだ。ここでアピールしなくていつするのだ。 味の素スタジアムから調布は駅二つぐらいなのだから、オリンピック開催中に呼び込みをした方が効果があるというものだ。
しかし、街頭パフォーマンスはお手のもののドンは言った。
〔ここは、オリンピック期間中は人が込み合って、通るのも大変な通路になる。ここでパフォーマンスは無理。調布駅前あたりでイベントをする方が効果がある。それに、オリンピック当日にパフォーマンスをしてどうなるんだ。みんなオリンピック競技を見に来ているんだぜ。〕
私は、オリンピック期間、当事者や観戦者は、空いた時間はスタジアム周辺内外と、飛田給の駅付近を物色するとは思うが、電車を使って遠くにいくことはないのではないかと意見を戦わせた。
とにかく、飛田給には何もない。また、スタジアムでに通路にならない場所は、屋上などぐらいしか見当たらない。しかし屋上は大変な暑さになると思う。今やっている工事が、屋根やテントをつけようと思ってのことなのかわからない。
私は、まるで縁日のように、スタジアムのいろいろな地点で、タイムスケジュールを組んで、パフォーマンスをやっていたら、面白いのにと思う。お祭りなんだから。
日曜日、市長に何か印象を与えられるといいのだが。 -
企画書のようなものとチラシを作った。
まだ、はっきりと打診していない人が沢山いるが、なにより、対象が外国のお客さんなので、肩書やプロもアマも関係ないと感じる。
それよりも外国で馴染みのない楽器、そして、日本固有の芸能の名前を挙げて、わかりやすく訳すことが先決だ。
今後、自分の就職活動の足しにもなるかもしれないというせこい保険をかけ、ワードプレスでコンサートの特設ホームページを作ろうと思う。
姉の翻訳を頼めることに希望託している。
小さな力でも、このネットの時代、宣伝の仕方によっては大きく飛躍できることが証明できればいいと思う。 -
時計台コンサートの数日前、飛行機乗務員である姉のホテルに泊まる。
ラインで、きょうだいに、「(2階席をつぶして)1300人のホールを借りました」と書いてから、その後、何の感想も書いてくれなかった、母、姉②、姉③、弟、のなかの一人である。
さて、何を言われるかと思いつつ、ホテルに泊まった所、 「これ、あげる。」 と本を渡された。 ”前祝の本”を2冊。
「とにかく、今のうちに祝うんだよ。」
そういって 「満員おめでとう!!すごい公演だったね。」などと祝い始めた。私もすかさず、「北海道の成功はあの時のホテルでの話がよかったよね!」と熱く祝ってみた。
あんた、本当に好きなんだね。よし。私の友達に日本語ペラペラがいるから、紹介するよ。お金なんかそんなこと考えなくていいんだよ。お母さんと康孝(弟)も動員してやるよ。本気でイメージすればその通りになるよ。私も今日はこんな奇跡があって…
やはり、ネアカなきょうだいは頼れる。 -
2019年7月17日 AM9:20
調布たづくりホール抽選当選。
倍率が低いのはわかっていたが、何か涙が出た。
なおこの会当選。用心の為にとっていた8月6日も当選していた。こちらは競争相手はいなかった。キャンセルしようと思う。勝手連で調布にイベントを。きっと市でやるはずだったイベントが7月23日グリーンホールに入っていたに違いない。でも私がやる。30年お世話になった調布にこだわる。
すぐにドンにメールを出す。
”先生、なんなら6日もゲットしますか?還暦のコンサートで。”
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本日、8月の抽選最終日。
倍率は低いので、ほぼ当選確実と思われる。つまり、オリンピック開会式前日と閉会式翌日の会場を確保できるわけだ。合わせて最大1800のキャパになる。ドンは最初から、「2日やるのは反対だ。」といった。
2日に客が分散されるし、なぜ、欲張って2日やる必要があるのかと聞かれた。
私は、「2日やらなければ、内容がよかったかどうか、最後までわからない。ああ、つまらないものを見たな。とみんな外国に帰ってしまうだけ。もし、よかった場合は口コミで2回目の集客につながる。宣伝活動もすべて、2つ同時に行えるよ。」
一生に二度はあり得ない、地元でのオリンピックのLUCKは、私のような一般人も得ることができるかもしれないチャンスだ。私たちがやってきた音楽は、この時だからこそ、花開くかもしれない。たとえ三日で散る桜であっても。
私は自分の頭の中の計画を次々ドンに話した。具体的に自分で動き始めていることもいくつかある。なかなか、ドンは「二日とも協力する」と言わなかったが「じゃあ、とりあえず、呼びたい人がすべて来た場合のプログラムを作ってみな。」といった。
しかし、それを作る前の一昨日、「やっていいよ。」といった。
「俺に止められたからやめてほしくはない。俺は、失敗してもやらないよりはやる方をとる。そう決めたからに、ほら、だから俺が止めただろうなんて絶対に言わない。最初から自分が言い出したかのようにやるよ。決めたからにはやるまでだ。」といった。
ドンの今までの行動からみても、すべて裏付けのある言葉だ。
成功の時はよかったね。と喜ぶが、雲行きが怪しくなると起こした人間に責任をかぶせる人は多い。だが彼はそれをしたことはないし、今、まさにそれをしない宣言している。
ドンがやることになる仕事は山積みで、おまけに定年前の最後の一年、仕事の上でも多くを引き受けている状況である。今度8月2日、札幌時計台コンサートで歌う、「レイズミーアップ」が頭の中で流れている。
You raise me up, so I can stand on mountains; You raise me up to walk on stormy seas
そして、もう一人報告する人がいる。母親だ。
仕事を辞める、来年は大きなコンサートをやる。とラインで連絡して以来、ほぼ話していない。
母親にこれは本気だということを普段の調子で語ってみる。
「一生に1回のオリンピック。お金は貯金で賄える。パートやりながら、一年間これに専念したいんだよ。大丈夫。借金するような額じゃない。私は車椅子だし、もともと気力のない方だし、こんなことやろうと思えるのも今だけ。これが終わったら堅実に先のことを考えるよ。」
もともと気力のない私が、というあたりで詰まりそうな声をごまかす私だった。
学生時代から無気力で、宗教にはまったり、首が3年曲がってしまったり、過食やアル中に近い日々があり、ついには車椅子になり、哀れな存在としての私を誰よりも知っている母親だ。
「あんたの話は疲れるねえ。」と言った。
いろいろ自分に降りかかってきそうな災難を想像しているのだろう。仕方ないと思う。今までそれを引き受けてきたのだし。でも、なんとなく「生きる」の主人公のように、黙々と恐れがない自分に気づいている。心配もしていないし、具体的にやるべきことが次々頭に浮かんでいる。
これからも私は生きてゆくだろう。
オリンピックコンサートをやってから生き続けるのか、幻のコンサートについて、もしやっていたらどうだろうと想像しながら生きて続けてゆくのかの違い。
やらなかった場合は想像できる。やった場合は、やってみていないので想像できない。片方の未来が灰色に見えるが、もう片方の未来は全く色が見えない。ただ少しだけ色がついているような気がする。
3年前に、10年以上働いた会社もやめたときも同じ状況だった。安泰な未来は色がなく見えたのだ。それから今までの3年も今の時点で無色であり、今だ意味不明の時間だ。
私はやるだろうと思う。そしてそれを完了して、またその先も生きてゆくだろうと思う。大したことじゃない。どのみち同じ終わりに向かって行列を作っている私たちなのだ。