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9月になった。
会社を辞めて2か月。コンサートの会場をとり、仮チラシとプログラム案と企画書ができているが、まだ決定ではない。
わくわくしているか?
いや、していない。
時々、九月末までなら、キャンセルしてもお金は戻ってくるという考えが浮上する。
昨日はインドのプレム・ラワット(マハラジ)のビデオ会を本当に久しぶりに姉と見に行く。半分以上居眠りをしていて内容はほとんど頭に入っていない。
自分を知りなさい。と彼は言った。
それが、私に対しての応援にも非難にも聞こえてしまう。
仮に作ったプログラム。面白いのかどうかわからない。最初は私のいいと思うものを並べることでどこかに統一感が生まれるような気がしていた。
気が付いてみると、自分自身が演奏したかったものがあったんだろうかという気持ちになっていた。
人に聴かせてもいいと思ってもらえるような気がしていた曲たちは、舞台が大きいため、子供だましだと言われひっこめたり、邪道だけれども私が歌うならばいいと自分で思えていた曲は、私よりは正統な人にゆずり、一年W氏に所沢まで習いに行こうとしていた民謡の練習は目的を失っている。
よく考えると、漠然と夢見ていた計画では、KATEBUSHのハローアースというグローバルな曲を一曲だけ英語でうたおうとか、かごめのオリジナル編曲で、皆でエキサイティングな私流のかごめ協奏曲をやる絵が浮かんでいた。
自分がいいと思う音楽をやり、自力だけで大きなコンサートはできないので、本筋の間に自分がいいと思える仲間の曲を入れて仲間にもいい演奏をしてもらいたかった。
人は自分の思い通りには動いてくれないぜ、とドンの口から出たけれど、誰かに言われるのを待っていたような一言が何度も去来し、そして、人に頼むのが苦手な私がいて、いまの私は、音楽にかける気持ちよりも、払うべき謝礼や、お客さんを呼ぶための方法で頭がいっぱいで、コンサートの内容自体は、古臭く、無難で、私が退屈していた今までの日常の発表のようになってしまっている。でも、どこかで自分はこうなるのではないかという予感がしていた。思うとおりに実現するという言葉のとおりかもしれない。
昨日は姉の、ジブリが世界的には受けるのでは、という話に心を動かされた。全く好きでもないジブリ。つい、「私はブラスバンドとかが今流行っている曲を演奏したりしているのを聴いて、ちっともいいと思えないんだよ。」と正直なことを言うと、姉は「人の好みは人によって全然違うからね。」と言われた。こういったやりとりは子供のころから姉との間にあったっけ。
そうか。外国人が喜ぶというコンセプトがあったな。
すっかり弱気な私である。砂山やふるさとを削り、ドンの得意なジブリを入れようかという気になってきた。自分の編曲で生まれ変わった砂山とふるさと。これなら無理せずできる、が、演奏だけ聞かせる自信がなく、結局、みんなで歌おうコーナーにしてしまったもの。
これを削ったら、あれ、自分は何をやるんだっけ。とちょっと思い出せない。脳みそがまた痺れている。自分がぼけかかっているような気がする。
さて、今日は何をやるんだっけ。就職活動はやめてしまった。一年間の失業保険ぐらし。今私を支える力は、これをやめたら、また、白黒の人生しかないという気持ち。やり始めたことを続けなくてはという気持ち。空想が呼ぶ力ではなく、空想が後ろから自動的に押してくる力。
ふと、今思い出した。居眠りしている間にマハラジが、自分を知りなさい。というほかに言った一言。
「あなたは強い。あなたは種です。そして雨は必ず降る。芽をだしなさい。」
会社を辞めて2か月。コンサートの会場をとり、仮チラシとプログラム案と企画書ができているが、まだ決定ではない。
わくわくしているか?
いや、していない。
時々、九月末までなら、キャンセルしてもお金は戻ってくるという考えが浮上する。
昨日はインドのプレム・ラワット(マハラジ)のビデオ会を本当に久しぶりに姉と見に行く。半分以上居眠りをしていて内容はほとんど頭に入っていない。
自分を知りなさい。と彼は言った。
それが、私に対しての応援にも非難にも聞こえてしまう。
仮に作ったプログラム。面白いのかどうかわからない。最初は私のいいと思うものを並べることでどこかに統一感が生まれるような気がしていた。
気が付いてみると、自分自身が演奏したかったものがあったんだろうかという気持ちになっていた。
人に聴かせてもいいと思ってもらえるような気がしていた曲たちは、舞台が大きいため、子供だましだと言われひっこめたり、邪道だけれども私が歌うならばいいと自分で思えていた曲は、私よりは正統な人にゆずり、一年W氏に所沢まで習いに行こうとしていた民謡の練習は目的を失っている。
よく考えると、漠然と夢見ていた計画では、KATEBUSHのハローアースというグローバルな曲を一曲だけ英語でうたおうとか、かごめのオリジナル編曲で、皆でエキサイティングな私流のかごめ協奏曲をやる絵が浮かんでいた。
自分がいいと思う音楽をやり、自力だけで大きなコンサートはできないので、本筋の間に自分がいいと思える仲間の曲を入れて仲間にもいい演奏をしてもらいたかった。
人は自分の思い通りには動いてくれないぜ、とドンの口から出たけれど、誰かに言われるのを待っていたような一言が何度も去来し、そして、人に頼むのが苦手な私がいて、いまの私は、音楽にかける気持ちよりも、払うべき謝礼や、お客さんを呼ぶための方法で頭がいっぱいで、コンサートの内容自体は、古臭く、無難で、私が退屈していた今までの日常の発表のようになってしまっている。でも、どこかで自分はこうなるのではないかという予感がしていた。思うとおりに実現するという言葉のとおりかもしれない。
昨日は姉の、ジブリが世界的には受けるのでは、という話に心を動かされた。全く好きでもないジブリ。つい、「私はブラスバンドとかが今流行っている曲を演奏したりしているのを聴いて、ちっともいいと思えないんだよ。」と正直なことを言うと、姉は「人の好みは人によって全然違うからね。」と言われた。こういったやりとりは子供のころから姉との間にあったっけ。
そうか。外国人が喜ぶというコンセプトがあったな。
すっかり弱気な私である。砂山やふるさとを削り、ドンの得意なジブリを入れようかという気になってきた。自分の編曲で生まれ変わった砂山とふるさと。これなら無理せずできる、が、演奏だけ聞かせる自信がなく、結局、みんなで歌おうコーナーにしてしまったもの。
これを削ったら、あれ、自分は何をやるんだっけ。とちょっと思い出せない。脳みそがまた痺れている。自分がぼけかかっているような気がする。
さて、今日は何をやるんだっけ。就職活動はやめてしまった。一年間の失業保険ぐらし。今私を支える力は、これをやめたら、また、白黒の人生しかないという気持ち。やり始めたことを続けなくてはという気持ち。空想が呼ぶ力ではなく、空想が後ろから自動的に押してくる力。
ふと、今思い出した。居眠りしている間にマハラジが、自分を知りなさい。というほかに言った一言。
「あなたは強い。あなたは種です。そして雨は必ず降る。芽をだしなさい。」
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