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聞いたことがあるだろうか。府中の郷土芸能『四季の調べ』
かつて景気がいい頃に府中市が、藤城先生というパーカッションの大家に依頼し、誰もが演奏できる新しい府中の郷土芸能として作った12曲。府中の四季を表現した曲だ。
そしてその芸能を普及しているのは私たち、『打・GAKUDAN四季』である。恐らく、府中在住の人でもほとんど知らない。でも存在している。
存在している、と書いた手前、本当に久しぶりに府中市のホームーページでその存在を探してみる。2004年ぐらいの講習会などに名前が出てくるが見つからない。遠い昔に市の補助も打ち切られているわけだし、ついに消されてしまったか、と思ったらあった。
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/bunka/bunka/katudo/minzoku.html
府中の芸術文化祭で、ほんの数年前まで、かっこいいそろいの法被に身を包んだ府中の花形郷土芸能『武蔵国府太鼓』の間に交じって、カラフルTシャツをきて毎年『わっしょい!』と舞台から叫んでいることで覚えている人もいるかもしれない。
このグループを25年以上続けているのはわれらがドンである。初期メンバーで残っているのはドン一人。もちろん私も団員だが、入団は2006年頃で、まだ日の浅いほうである。メンバーは20年選手も数人いるが、特に入ったばかりの人に指導するわけでも威張るわけでもない。頑張って動いている雰囲気を出している人もいない。2年に一度、総会で決まってドンを会長にみんなで選び、指導はドンにみんな丸投げしている。しかし今季は珍しく、Kくんが副団長に立候補し、準備運動を指揮するようになった。画期的だ。
府中の芸文から締め出しを食った理由は、我々にもよくわからないが、ドンが参加できなかったある年の芸文の時、片付けのやり方が悪かったとか、変な場所で着替えをしていたとか、なんか小さいことにクレームがつき、次回はもう結構ですとドンに連絡がきた。メンバーは、よくわからないまま、ざわざわとしているだけだった。ドンが『みんな、頭を下げてお願いすればもう一度芸術文化祭に出られるけどどうする?』と聞いたが、みんな特に頑張って芸文に!という人がいなかったため、そのままになった。
四季は、毎月千円の会費で、土曜日夜集まって4時間のうち、2時間をゆるーい感じで練習し、毎回近くの北樽という飲み屋で飲んで解散する。
夏にはこの四季がグリーンホールの舞台に上がる。
曲目は私が12曲から抜粋した『四季メドレー』と私の編曲した『荒馬の夢即興曲』。
『荒馬の夢即興曲』
この2曲の楽譜とデモ音源を作るために私は膨大な時間を費やした。ところが、そのデモと音源を前にして、ドンは『やっぱりメドレーじゃなくて、通常の2曲にしよう。』とのたまった。
全部苦労は水の泡ですか。と不満に満ちた中の1月荒馬練習第一日目。ドンから皆にはきょうから荒馬をやるというメールが皆に送られている。
ところが、私は琴を運ぶためにわざわざ車で来た末に、琴柱を忘れてしまった。
結局自分でさらに時間を無駄にしたのだった。
せめて持ってきたスピーカーで録音音源を、と思ったら電池が切れている。未練たらたらでけいこ場で音の出ないスピーカーをしつこくいじっている横で、ドンは淡々といつものようにいつもの曲を指導している。
私は一月に入って睡眠も足りず、頭の中ではいろいろやらなくてはならないことでいっぱいで今を生きていないために、やらかし率がマックス状態になっている。
ああ、練習はあと何回だろう…などと思いながら、人気のないタンバリンを適当にたたいていると元副団長のいがぐりに『そんな音じゃ聞こえないよ。もっと大きくたたいて!!』
へ?いがぐりが指導している?ドンが言った。
『みんな音に気を付けて。工夫していい音を出すんだ。』
私がブログに乗せなきゃと思い写真撮っていると
『なおこさん。なにやってるの?』『なおこさん主催でしょ!』
三五郎から指導が入る。
気が付くと、私が一番ぼんやりしている。
皆いつもの曲をいつもの楽器で弾いているが、ちょっと違っている。
『もっといい音を。』
焦ってペースを失っているのはどうも私だけらしい。PR -
新年開けて、二週間たとうとしている。あと10日で半年前がやってくる。
ブログは滞っているが、手をこまねいていたわけではない。
1月4日四季の新年会。前日遅くまでたった一人で買い出し、準備をしながら、結局頼みのメンバーは欠席が多い。新年に出した、ご無沙汰している人たちに出した葉書は半分ぐらい帰ってきてしまった。連絡もつかない。疲れて気持ちがへんに落ち込んで、何もかも投げ出したい気分になってしまったが、数時間寝たら元気になり、立派に新年会のあとかたずけまで勤めあげた。なんか大人になった気がする。既に50だが。
以前に、琴の金木星のメンバーが、コンサートは無理だと言ってやめようとした時、出演をとりやめにしようとしたら、89歳のメンバー加藤先生に言われた。「せっかくやる気になったんだから、やめる人ではなく、いる人のことを考えよう。」来ない人より来る人に希望を持つべきだと。
1月6日琴、金木星で八雲苑で、ボラ演奏。どうしようかとうろうろしていうるちに、かたずけがはじまってしまったが、よし、と思い切ってコンサートの宣伝する。すぐにチラシは貼られ、職員さんが「ぜひ、行きたいです。」と言ってくれた。
1月11日、武蔵国府太鼓の輪鼓で、多摩センターライフケアセンターでボラ演奏。今回は宣伝兼ねて、琴を持参させてもらい、ドンの笛と一緒に、春の海のさわりと、上を向いて歩こう、北国の春もやった。病気していたリーダーの”おにいちゃん”が復帰し、久々に叩く太鼓は、気合いが入っていて、希望にみちた新年の演奏だった。また、我がハンメルンの笛吹きであるドンが、朗々と笛を吹いて、さらにみんなでご老人を誘い出し、太鼓の体験コーナーはすごい盛り上がりだった。最後に叩いたおじいさんはすごい力で叩き続けて、汗だくで爽快ないい顔になり、さらにみんなに誉められて饒舌だった。
でも、ドンはあとで、(脳溢血でも起こしたらどうしようかと思った)と恐怖をかたっていた。
1月12日は琴木星の新年会と、午後から、コンサートのゲストで来る奥山さんのワークショップがあった。
新年会で、私はみんなに演説をした。コンサートをすることになったきっかけと意気込みを語った。みんなよく聞いてくれ、リーダーの歌子さんも「頑張らなきゃね!」と気合を入れてくれ、メンバーの大さんもワークショップに向かう私に「気を付けていってらっしゃい!」と送り出してくれる。
この二人はいつも陰でいろいろと取り持ってくれたり、段取りをとってくれ、チラシをいろいろなところに撒いてくれたりして働いてくれている。いなくなる人もいるが、いるメンバーが現実を動かしてくれている。
まだ何も始まってないのになにか涙が出る。
自分がいろいろ表現するようになったのを感じている。伝わるかわからなくても自分の気持ちを迷わず言ってみるようになってきた。無言は楽だけれど、何も変わらない。ブログもそう。つい黙り込んでしまう私だが、こういった日々を書くことが面白いのか面白くないのかと迷うより、こうやって自分に起こっていることを、ちゃんと書いて表現していこうと思う。 -
年末、一人もくもくと30枚の年賀状、50通のメールを書き、7月、8月のイベントについてお知らせすることにした。今回は親戚一同にも声をかける。
私は子供の頃から、親戚が苦手で、親戚が遊びに来ると奥の部屋に逃げ出した。家とか家族というものに居心地悪さと嫌われ感を持っており、結局家族を離れて東京に出てきて、結婚もしたいとおもわなかった。寂しさはいつもあったと思うがそれを、特に家族には見せなかった。
そんな私なので、何をするにもあまり家族に報告・連絡・相談でつながっていない。コンサートについてもラインでちょっと報告して、あとは、一体どう思っているんだろう、と恐れて近づかない。
しかし、先日実家に帰ってみると、誰も見てくれていなかったブログを、家族はちゃんと読んでくれていることが分かった。そういえば母親に相談した時のことも書いたなあ。あんなの読んでたんだ。(8月抽選最終日 ドンと母親の反応)恥ずかしいなあ、と思うが、母親は今回東京に戻る直前に、東京に住む親せきの住所をいくつかピックアップしてくれた。きっと、母親もどうなるものやら分からない娘のコンサートを親戚に知らせるのは恥ずかしいだろうが、それなりに決意しているんだと思う。
姉の友人は、ほとんど交流のない私を食事に招いて、外国の友人を紹介してくれた。お世辞にも、あまり人に尽くしているとはいえない私に、いざとなると血縁との絆を持つ人が、事情を差し置いて駆けつけてくれる。
そんなわけで、結局、今年中にコンサートの本チラシを作るという予定もかなわず、31日夜中11時ごろ、メールを送るだけにして国領神社にお参りに行く。おなかの調子が悪く、一度家に戻り時計を見たら12時半。あわてて、メールを一斉に出す。いつも後手後手に回っている。
実家に帰らない時は、国領神社の目と鼻の先に住む、打・GAKUDAN四季のちよさんと12時からなり始める太鼓を叩きに行ったものだ。一緒にここでお参りして、お神酒と甘酒と長寿箸をもらって、たき火に当たりながら飲んでいたっけ。
昨年はちよさんの追悼コンサートだった。もうここにちよさんはいない。
(2015年ちよさんと)
前に並んでいるカップル頼んで、小銭を賽銭箱に入れてもらう。にこにこしながら「階段のうえに運びますよ。ちょっと酔っぱらっているけど。」とその仲間たちど言ってくれるが、笑顔でお断りした。「下でお参りしますから大丈夫!」
お賽銭を振り返って入れてくれた。一緒に手を合わせる。
最近、神様には、お願いをするのではなく、感謝をするのだと聞いて、そうすることにしている。
考えてみると、すべて望むことはかなえられていっている。自分がやりたいと思い、1800の座席のホールでコンサートをする段取りまでできている。想像することが怖くて真っ白にみえていた近未来が少しずつ形になってきている。。
こんな無謀な企画に沢山の人がかかわってくれている。
それでも、不安だったり悲しかったり不満だったり寂しかったりする。うまくいったことより、うまくいっていないことが気になり胸が苦しくなる。
神様は願いをかなえてくれる、いやすでにかなっているのだから、笑顔でありがとうという。それができることがハッピーなのだ。今年は一年、ハッピーな年にする。
そのあと、お神酒をいただき、お箸をもらう。神社の役員の方が「最後です。」といった。
なんと、私は配られる長寿箸の一番最後にありついたのだ。「あ、福がある!」と私は言った。
太鼓を叩くのにお賽銭はいらないが、いつものように千円箱に入れた。
「前田家のご多幸に三本締めを!」
神社の方が皆で三本締めをしてくれる。一番大きいばちを持たせてもらい、大太鼓に向かう。大きな太鼓の前で腹に力を入れると、お腹と太鼓がつながったような気持ちになり、叩くのがうれしくてたまらない気持になる。
三回。「どん・どん・どーん!」
気分爽快。拍手をいただく。
ああ、気持ちよかった。でもあまり大きな音が出なかったな。もっと近づけばよかったかな。せっかくの3回、もっとゆっくり味わって叩けばよかった。…あ、いかんいかん。いつもこんなことばかり考えるからハッピーになれないのだ。
一人でこんな寒い夜にここまでこられた。お参りして太鼓も叩いた。願いがかなったぞ。
メールが来た。ミュージシャンで映画にも出ているKさんだ。福岡で活動している。「来られるかわからないですが、あなたの生き方は素敵だと思います。」寒い帰路、心が温まった。
さて、かつての仲間とどれぐらいつながれるだろうか。 -
「君が代の伴奏ダメだった。アカペラで歌うよ。師匠は伴奏しないってさ。」
ドンに言った。(2019/11/18君が代の憂鬱)
(これが、「胡弓」。胡弓というとほとんどの人が中国の二胡と間違えている。弦は三本。三味線より歴史が古い。)
今日のドンは、飲み会帰りとは知っていたが、相当に酔っぱらっていて、赤い顔をして
「どうして?」といった。
「嫌なんでしょう。」とつっけんどんに答える。
稽古用の胡弓を持ってきていなかったのもあったので、「先生、今日はこのまま練習しなくて帰っていいですよ。」といったが、せっかくここまで来たんだから、練習しようといった。
ふと、「じゃあ、アカペラで歌う ”君が代” 聴いて下さいよ。」と言ってみた。
「いいよ。」
アカペラで歌う価値がなければただのひとりよがりになってしまう。ドンに演奏や歌を初めて聴かせようとするといつも緊張してうまくいかないが、この場に及んでそんなことは言っていられない。お客さんにアカペラで聴かせようというのに。
歌ってみるがやはり集中できない。抑揚も感情も出せなくなってしまう。案の定、
「うーん。それじゃただ歌っているだけで、歌う意味がない。」
と言われた。
何度か歌ってみた。
すると、ドンは「俺が歌ってみようか。」といった。
いつものことだ。ドンは人が必死で歌うと、自分も歌いたくなる性分なのだ。
一緒に歌ってみた。いつものように、ドンの声に紛れることで、私はのびのび歌えるようになる。歌ったあと、ドンは言った。
「俺、こんなに大声で必死に君が代を歌ったの初めて。」
私と同じだ。実はこの企画を言い出して以来、稽古場で恥ずかしいけれど全力で一人で歌っている。本当に君が代を大声で歌ったのは、それが初めてだった。
「いい曲だということはわかっているけどね。」ドンは言った。
歌ってみるとこの微妙な音程は非常に難しく、この歌を上手く歌うことの困難さは、対策としてネットで調べて見てわかった。
この曲は西洋の原理でメロディーがつくられているとかで、日本語の言葉の意味を分断するように切れてしまいやすい。
(さだまさしの君が代。何故か感動する。)
「先生、民謡の人なら、きっと”苔のむすまで”は一息でやると思うよ。」
「そうしてみようか。」
などと言いながら、何度も練習した。自分一人で歌う時ぐらい自由に歌えるようになったので嬉しくなって、
「先生、二人で歌えば人に聴かせても大丈夫な感じじゃないですか?」といった。
「いいよ。俺、歌っても。」
とドンは言った。言ってすぐ、
「ああ、俺って、いろいろ譲ったよなあ。」
と自分でうんざりしている。
「歌う前に ”私は教員ですが”って言おうかな。」という。
「なんですか。外国の人が変に思いますよ!」と笑った。
でも、ドンにとても感謝していた。 -
数年前にドンが毎年笛の伴奏で参加していた三陸みなと祭りで、一緒に演奏した仲間、かつドンが、一番難しいプログラム、フィナーレの(ハッピー)という曲で、参加してくれることになった。
私と、笑いのツボが似ている気がするのは、きっと変わっているんだと思う。居合をやったり、ヨットをやったりと、クールで熱い。音楽の本業はけん盤ハーモニカでjazz。その腕のすごさはぜひ本番で聞いていただきたい。
一度、断られかかっていた。指の関節が腫れて、組織が壊れる病気になっていて、音楽も辞めようかと落ち込んでいたが、なにもすぐにやめる必要はない、と思い直したという。
家に打ち合わせにいった。
部屋はキーボードとパソコンモニターが3台、スピーカーいくつかに、楽譜やCDが並んでいる。おお、スタジオ部屋だ、と感心する。なにせジャズマンとのあいだの子供を芸大に送り込んでいる。
「なんで、こんな難しい曲を選んだの?」
と聞かれた。
これを聞くと本当にハッピーになるから、どうしてもこれが歌いたかったとこたえた。
そう。ろくに楽譜も読めないのにこの曲を選び、ドンにも君が代とともに反対されていたが、かつドンの参加で、ドンの反対は翻った。
幸い三味線でやりたい、琴でやりたいという前向きな女性も名乗りをあげてくれたが、そう簡単にまとめられる曲でないことが、かつどんの話を聞いてわかった。アレンジありきだ。
「私、音楽辞めようと思ってたところになおこちゃんから誘いを受けて、なんかお前も頑張れといわれてるような気がしたのよね。」
と、かつドンはいった。アレンジも全面的に引き受けてくれそうだ。
一度はあきらめていたカツどん参加により、ハッピー計画始動! -
このキーワード、いまずっと調べていた。
私が突然、夢のような計画をたてたときから、姉がスピリチュアル系の本をくれるようになったので、夜行高速バスのなかで読みつつ気分は盛り上がって幸せだった。
(帰ったら神だなに自分の写真を飾り、白檀のお香をたき、香りのいいお茶を備えて13日間、祈祷して、人生を逆転しよう)と真面目に考えながら、ふと、何日もかかって読んでいるこの本の著者が気になってきた。
調べているうちに、履歴から何から、全てが本人の書いたものだったり、怪しいリンクだったりする。しまいには、たぶんかなり信じて投資してきた病的なヒーリングマニアの人が、その人の高額なカウンセリングを受けて、スピリチュアル用語で、何日にもわたって非難しているブログを見る。
心が萎えてきた。
この著者は履歴に、感心させられるクリスタルの会社と作ったスクールと、スピリチュアル研究について書いているが、その証明はどこにもない。はっきりわかったのはのはクリスタルをネットで売っていてカウンセリングをしていることだけだった。
調べる自分もいやになって、楽しかった気分は現実に引き戻されてしまった。
自分が納得できる考えならば、軽く読んでハッピーになって流せばいいのだろうが、よく、読んだ末に著者について調べて嫌な気分になることがある。
女は面倒くさがりで、感覚的なので、感覚的に喜ぶものを受け入れて幸せになって、すぐに忘れて、次を探す。感動を男性に語ると、男性は眉をしかめて、それどこの誰が言ったの?と面倒くさく聞いてくる。
どちらが幸せかわからないが、私も女側に片寄った人間だ。せめてバランスをとるために、ヒーリング系の本を読むときには先に著者について調べてから読み始めようと思った。 -
実家福岡に一時帰省することにした。
福岡行き高速バスに乗る前になんと、車イス左のタイヤがぺったんこに潰れている。バスの受け付けに言ったら空気入れを持ってきて、空気をいれてくれる。しかしパンクしており、いれた端から抜けていく。
そういった、預かり知らぬトラブルに、バス会社の必死に対応してくれている横で、サービス担当でずっと立ち続けている若い女性はボーッと見ているだけである。後でわかったが中国人だった。
本当に最近は人手不足らしく、サービスの顔になるような場所にも外国人の接客スタッフが多い。
高速バス、博多号に乗り込んで車イスを胴体にいれてもらい、手すりと背もたれを頼りに座る。
私は立てるころからこの博多号を使い続けてきたが、乗るたび、時代に合わせて変わってきている。
今回は前方3席は2列の個室になっていた。座席は黒いマッサージチェアみたいな椅子にグレードアップ。コンセントの代わりに差し込みがusbになっていて、手元明かりは二ヶ所になり、ピンポイントの範囲が鋭く小さく明るい。カーテンが、つながっておらず、個別にそれぞれ前方にぶら下がっている。
そして、カーテン閉めるようにという案内の代わりにご自由に開けて夜景をごらんください。左側は、途中で閉めに来ますとのこと。
閉塞感がへり、体が楽になった感じ。そして、気づいたのはアナウンスの声の素晴らしいこと。心配りと愛がこもっていて、狭いバスのなかで、(どうもありがとうざいます。田中さん!本日だけといわず、これからも宜しくね。)と頭を下げたくなるようなアナウンス。かなり訓練されている感じがする。
この日本の夜行バスの、経験の蓄積からなるサービスは、世界に誇れるのではないか。
狭い国土で、和を尊びつつも、自分の空間に拘りつつ生きる日本人が、究極の狭い空間で、他人と一晩を過ごすという大変な制約。起こる問題を一つ一つクリアしてきたこのサービス。
オリンピックに向けて外国人が増えることを見越して、バスのサービスにも、ものすごく力をいれているのかもしれない。旅行者にとって、バスは値段的にも、便利さからいっても、大変有難い乗り物だ。
バスターミナルでは、外人さんににこやかに説明をする社員が生き生きと会話し、その勢いで私にも、(なにかお手伝いできることはありますか?)とあちらから声がかかる。
日本人は、外国に留学したりという人が減り、国からでなくなったと聞く。しかし、国内には外国人が増え、いながらにして国際化していかなくてはいけない状況がある。
これからの日本は、とことん平和と和を尊びつつ、古いものと新しいものと異質なものを全て受け入れ、サービス精神というものを教えられる世界が学びにやって来る国になればいいなあ、とおもうのだった。
だから引きこもっている心優しき沢山の引きこもり日本人が外に出てこられるように、もっと働きやすい世界になってほしいと思う。 -
コンサートのプログラムを初めて5か月前に作って以来、最初からプログラムに入れていて、消したり書いたりしながら、連絡を迷っていた人がいる。舞踊家の〇子さんだ。
そして、ドンは彼女のことを「なおこそっくりだ。」と言っている。自由で常識にとらわれない生き方や人の心配ばかりしているところなど、自分には真似できないが、劣等感の優越感のバランスが悪く、人とうまく折り合えないようなところが似ている気がする。
彼女は10年以上前にたった一人で私と同じような企画をし、大舞台をやり遂げた。今回の企画をやるほどに、その時の彼女の気持ちがわかってくるような気がする。なにか不思議な縁があることは間違いないと思う。
昨日立て続けにプログラムが決まってテンションも上がり、ミラクルを期待する気持ちでついに参加をお願いする電話をした。が、その日のうちに喧嘩して決裂した。言い訳しないで言うと、頼んだとたんに、猛烈な不安と呪縛と違和感が襲ってきたのが理由だ。
連絡がつかないイライラする日々、リハーサルに出ず、当日まで不確定な出し物、内容の紹介の困難、
〇子さんには申し訳なかったと思う。
私は、平凡な人生のたった一度の打ち上げ花火を上げようと思って企画したが、相変わらず線香花火のようだ。明るい光は見えてこない。ただ、最初これを決めた時とおなじ。やらなかった未来は見えるが、やった未来は成功であれ失敗であれ、見えてこない。
多分何一つ形になっていない状態だ。
でも以前より不安感が多かったのが、楽しさが少し増えてきて、今半分ずつぐらいになってきた気がする。昨日は昨日。今日は今日。
やれることは、とにかく後悔しないようにこつこつやるだけだ。 -
今日は大変な一日だった。
プロの出演者が二人決定した。
八丈太鼓の第一人者、奥山さんとビクターの民謡歌手、渡辺さんが出演を快諾してくれた。
この二人にお願いするに当たっては長い苦労の道のりがあった。二人とも企画した最初から念頭にあった。渡辺さんに関しては、2019/07/10クラウン歌手Wさんに再会に書いたものの、実は後日談がいろいろある。
尊敬する渡辺氏をなんとか出演に持っていくため、2時間以上かけて、何度も所沢まで通った。しかし、私のような、なかなか人馴れしない人間にとって、その場所はかなり居心地が悪く、距離の遠さも相まって行くのが精神的に困難になり、ちょうど、弟子に車をぶつけられて車がへこむという事件をいい幸いに行くのをやめてしまった。
数日後、先生の民謡を聴きに行き、手紙を渡した。
「ちょっと遠すぎて、通うのは困難になりました。本当は先生にコンサートに出てもらおうと思ったんですが、ちょっと今の状況では、先生の出番も少なく、お客さんを呼べるかも自信がないので。」
そう、いつものみじめなへたれ体験。
そして今日、相変わらずお客さんが来るかどうか全く分からないが、先生に2曲歌ってもらうようにプログラムを調整できたところで、緊張しながら電話した。
「歌ってもらえませんか。」
「構いませんよ。やりますよ。謝礼?気にしないでください。電車で行きますよ。日本を代表する民謡?南部牛追い歌なんかどうだろう。」
飛び上がらんばかりだ。南部牛追い歌。岩手の代表的な竹もの(尺八伴奏の曲)の民謡。この曲は渡辺先生のちょっと狂気が入ったような歌にぴったりだ。そして、オープニングのこきりこを渡辺先生が歌ったらどんなに格が上がるだろう。倒れて7年間のリハビリを経て、それでもその歌の中の狂気は健在だ。
そして、うまくいった勢いで電話した八丈太鼓の奥山さん。
これも、私のさらにすごいへたれ体験を経ての決定だ。
八丈太鼓は最初から胡弓の木場先生とともに、プログラムを飾る出し物として、考えていた。私の知る限り、奥山さんは八丈太鼓の最高のプレーヤーだ。即興を基本にする八丈太鼓自体が好きだが、沢山の演奏者の中、奥山さんは抜きんでている。
https://www.facebook.com/yoshio.okuyama.56
※ユーチューブで沢山演奏が聴けます。
その奥山さんのイベントに参加してみたりして、周りで衛星のようにうろうろした過去はあるが、結局一度もまともに話しかけたことがない。24時間八丈太鼓に友人と行こうと話し、飛行機チケットまで買ったが、台風で流れ、その後その友人は亡くなった。車椅子の私と八丈に太鼓を叩きに行こうと言ってくれる人はいなくなった。
最後のチャンスかもと思い、今年8月に24時間八丈太鼓のプレイベントに奥山さんが東京に出てきていたので、はるか江古田まで出掛けた。あわよくば、イベント中に勇気を出して奥山さんにいざ交渉だ!それは、渡辺先生に手紙を渡して逃げてきた帰りだった。時間には間に合わず、2次会の時間を目指して到着。
ところが会場は地下だった。どこからか、笑い声やもり上がる声がする。八丈太鼓の常で、酒を飲み、盛り上がりながら叩いているに違いない。
目の前にある警察に、「地下にいきたいんですけど、ちょっと中の人を呼んでもらえますか?」と言ったら、気の毒そうに「我々が行くと驚かれるんですよねえ。」と言われた。本当に行きたければそれでもお願いしたところだが、救いを求めて電話した荒井さんは、今日は参加しておらず空港にいたことから、このライブ会場に入る勇気もなく、結局すごすご帰ってきた。
同じ日に二人のプロを誘えなかったへたれDAYだった。
そんなへたれの私だったが、この数日、なんとかプログラムを決定しなければという焦りで四苦八苦していた。自分の歌をしみじみ聞いてみたり、木場先生の言う「お金をとってコンサートをするということがどういうことだかわかりますか?」という声やドンの「基本的にやりたくない奴は誘わなくていいんだ。」とかいろいろな声が聞こえていた。
琴のメンバーの一人が「できないからやめる!」と言いだしたため、プレッシャーを減らすべく、琴木星の参加は、予定の2公演から、1公演に減らすことにした。
お金はかかりそうだがやはり、どうしてもプロの助けは必要なことが分かってきていた。
八丈からの交通費や滞在費がかかろうと、どうしても奥山さんがいい、とドンに言うと、「そこまで腹くくっているなら、頼んだら?八丈はいいと思うよ。」と言われ、その一言で、いろいろな心配を乗り越えて、まずは、既に出演を約束している青ヶ島太鼓の荒井さんの紹介してもらい、連絡してもらった。そして、こそこそ見ていたフェイスブックの奥山さんに、初めて勇気を出して友達申請をした。
数時間後、申請承認の通知が来た。ドキドキする。
すぐ自己紹介をした。返事は…
「7月23日は、予定を入れました。8月10日は、他に予定があります。」
ん?
「入れた予定というのは、私のお願いしている件の方ですか。」
「そうです。」
どひょーん!!なんと、私が考えていた半分の謝礼で引き受けてくれた。
「私、結構人のこと、覚えないですが、あなたのことはおぼえていますよ。」
私がイベントで周囲をうろうろしていたのを覚えていたんだ。車椅子というのは居心地がわるいときも多いが、こういう利点もある。
へたれ体験も、最後に成功すればへたれではない。こうやってブログに書けるときには勝利している。
というわけで、いま進行中のへたれ体験については、まだまだ語りませんよ。 -
最近、コンサートのことで、にわか作りの主催者である私は少々叩かれている。
歌おうと思っている君が代について、その編曲について、儀礼について、有料公演をすることについて、芸能についてなど。
最もだと思うこともあれば、それが正しいとは一概には言えないと思うこともある。落ち込んだり、腹が立ったりすることもあるが、こうやって、ひきこもっている場所から出てきて、人と関わり始めたから起こるジレンマは、有難いと受け入れるべきなんだろう。
試行錯誤だ。
私は長いものに巻かれるタイプで、非難されると萎縮するし、人の反応にびくびくするタイプだ。今までの人生で何かを変えたこともなく、まるで、電車の風景のように世の中を見ながら通り過ぎてきた。
そんな私でも、いろいろ政治や宗教や信条みたいなことについて熱く語ったり、闘ったりすることもあった。
そんな時に気づくのは、自分がこだわっていることに関して熱く語っているとき、自分の顔は目がつりあがり、冷静でなくなっていて、それを非難されたとき、言葉に出さずとも「自分が正しい」という気持ちで、その人の考えだけでなく、その人自身に対しても攻撃的になってしまう。
そんなときは、「あ、これは日本人らしくない。」から、やめようと思う。日本人はたぶん、そういうことが嫌いだから、政治や宗教などの話はお互いにしない。皆が人と戦わないように気を付けている大人だらけだ。
日本人は人を非難するよりは謝っている方が気持ちが楽になる。非難を言葉に出すと、すぐに自分の心の中を振り返ってしまうからだ。振り返ってしまうと、その人に石を投げることはできなくなる。
謝るだけでは済まず、自殺する人も多い。最近は、「空気を察して世の中に迷惑をかけないようにしなくてはいけない世間」の息苦しさに疲れたのか、ひきこもりが増えていると聞く。
私ぐらいの世代で親がまだ健在の人たちが、家から一歩も出なくなったり、心を病んだりしている
日本の神社には何の神仏の像もないが、鳥居だけがあり、どんなひとも迎え入れる。そして、祭壇に何があるか。鏡だ。
迎え入れ、受け入れることも大事。でも、一番大切なのは自分自身かもしれない。