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だから、私はコンサートをすることにした。

2019年、7月、会社を辞め、オリンピック開会式前日の2020年7月23日、調布グリーンホール。 オリンピック閉会式翌日の2020年8月10日調布たづくりホール確保した。 そして2020年3月24日オリンピック延期。新型ウィルスによる集会禁止。 一生に一度の地元のオリンピックで、外国から来た方に日本の音色でおもてなしをするという企画が、未曽有の事態によって、違う方向へ。 いつも最悪に見える人生のタイミング。運命は自分にいったい何を教えようとしているのか。 たった一人の音楽パートナードンとドンキホーテのように無鉄砲な企画に立ち向かう名もなき車いす。空を飛べるか。

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  • 2020年7月23日抽選へ
    7月1日2時55分、地元施設Tに到着。


    いちばんのりだ!


    6月最終日、オリンピック7月抽選はすべて落選し、施設Tのキャンセル待ちの結果は、やはり全てダメだった。29日が空いてはいたものの、となりのMホールが確保されているため、太鼓の演奏が難しい。

    明日並んでとる必要もないかと、ふと、地元ホールGの状況を確認してみる。

    するとなんと、抽選対象からも外れ、借りることができなかったはずの、ホールGの23日と24日が空きになってるのを見て、驚き、目を疑った。

    どうも、ホール自体が企画していたイベントが中止になったのではないかと思われる。

    キャパは1300。恐る恐る確保しようとしているTホールの3倍近い。

    近所の人を詰め込んでもとても埋まらないサイズだ。

    受けた会社に送ろうとしていたポートフォリオ作成もまったく手につかなくなった。どうしよう。明日の朝までに決めなくては。ど素人がいきなり1300のホールを借りて、どうやって埋めたらいいのか。

    でも、心のなかではなにかが、また鈍いけれどじわじわと強い力で自分を前に押し出そうとしている。

    音楽パートナーのドンに電話をかける。いつも大変な決断の時にはドンは電話してもいなかったり、不思議に雲隠れする。でも今回は彼がどういう反応かを確かめなくてはならない。

    結局数回かけてもダメなのでメールで伝えると、電話来る。

    うーん。キャパ2倍以上か。やってみる?(ドン)

    ほんと?すごいね。即決だね。(わたし)

    こうやって、少しずつプロみたいになっていくわけだよ。(ドン)

    いやあ、最後だよ。今までの総決算だよ。何のためにやっていたの?って聞かれたらこのために頑張ったんだっていえるからね。和楽器やってきたことが、オリンピックで外人さんに聴かせられるという大きい価値になるよ。(私)

    何で最後なんだよ?俺はまったくオリンピックに頑張る気も、外国人に聴かせることに頑張る気もないよ。次の目標として先のことを見据えてやる。終わりだとか集大成なんて言われると、なんの為にやっているのかわからないよ。(ドン)

    Tホールを二回とる、ということも、一瞬「無謀だよ。」といいながら、すぐに「やってみるか?」といった彼は、それが今度はキャパ3倍のGホールに変わったというのに、前先を見据えて、一緒にこの計画に乗ろうとしている。恐れず、迷わず。今までコンサートどころかミニライブさえ企画したこともない私のこの無謀な計画に。私は、言葉を失った。

    黙っていたら、わかった?アンダスタンド?と、なんだかニヤニヤしているような声がした。

    電話を切って、すぐに9時からの追加応募に全面的にとりかかる。

    明日の九時に、直接来館応募、電話応募、ネット応募のすべてが同時に始まる。

    来館の場合は、9時受付前、7時に警備入り口で整理券をもらい、中にはいって二時間待つ。そこまで苦労しても、下手すればネットが早いかもしれない。でも、家でぼんやり待ってなどいられない。

    まずは、警備入り口にいちばん乗りにならなくては。

    そして、朝3時にでようと、10時には床についた。結局目が覚めてしまい、30分早くに現地に向かった。

    トイレに行っている間に場所をとられたらいけないので、車イス使用者の特権の武器である、リハビリパンツを久々にはいた。

    駐車場も開かない、電車も動かない夜中の2時半だ。

    そして今、意気揚々と、ここでスマホをいじっているのだった。
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  • 会社最後の日
    きょう会社最後の日。朝、紀伊國屋売店で15枚いりはちみつ煎餅二袋かう。しめて千七百円ほど。

    朝来ると、まさか、そんなこと予想だにしていなかった、もと聴覚の若い女性リーダーが、プレゼントを机においている。

    わかく、聴覚で、コミュニケーションが上手くいかず、最初につまづいたひとだ。

    1日ソフトのアンインストールなどで、いつものレシート検閲はできない。色黒で男らしいkさん、樹木希林の旦那みたいなg3さんに、今日さいご?と、声かけられる。 

    隣の聴覚女子二人とは昼食することになっているが、昨日はちり紙を一枚ちょうだい、と軽いコミュニケーションのつもりで借りたら、うるさそうに(もう、四回目ですよ。自分で持ってきてね)といわれる。笑って謝ったものの、あまりのせちがらさに、そんなに気に入られてないのかと呆然とした。送別会といっても、私の分を払うとは、あの二人の今までの行動からいってもおもえないな、と思ったが、一応、三人ブラス一人で加わることになった、cさんの分も300円程度のお菓子を買っておいた。

    昼に行く前コンビニで、悩んだ末、リーダーにお礼に800円ぐらいのリップを買った。なにかお返ししておかなくては、と思った。

    後に挨拶にいくのがちょっと憂鬱だった。グループがわかれてから、いちども話してない。

    お昼のステーキ屋では、やはり二人とも送別会とは名ばかりで、二人で手話でべらぺら話し、仕方なくcさんと気を使いながら話を盛り上げようとするのだった。

    最後何故かまた、男で呼ばれた側のcさんがわたしの分をはらうというが、甘えない私であった。

    でも、友達もなくやめていく私に、お昼食べようといってくれるだけで有難いと思おう。

    最後はコツコツと、レシート検閲の応募数を、誰に頼まれた訳でもなく記録した表の締めくくりをし、メンバーに挨拶とともにおくる。

    リーダーは尊敬していたがほとんど口を利いたことはない。挨拶もろくにしていない。お礼の気持ちが伝わればいいと思った。

    隣のとなりの聴覚女子が、隣の聴覚女子が出そうとしている、これはどうよ?という文のお別れの言葉メールを転送してきて、どう思うか?直してやってくれ。という。添削までして反感をかうのもばからしいが、最後だし、愛をもって直しておくってやった。初めて文章についていろいろ指摘した。素直にありがとうございますと、返事が来た。

    流石に同じ部屋の同僚たちに拝啓、草々はないだろう。

    帰る一時間でぐらい前に、もとデザイングループの三人が送別の品を持ってきた。(私達、同志だから)といった。きょう1日元気だったのに涙が出た。

    隣の聴覚女子が、つられて泣き出して、ちり紙をくれた。(五枚目だよ。もらっていいの?)といってやった。そのあと、なんと、あと五枚もくれるのであった。

    かえりは、まだ涙乾かない顔で、きょうが最後になる埼京線渋谷駅のホームから、赤らんで行く空を眺めていた。

    すると、偶然にも斜め前の電車の出口から、私を会社にいれた人と、やめるのを止めて結局は辞めるように仕向けた人が降りてきた。

    わたしはスッキリと笑顔だった。むこうも笑顔で、いま、終わり?ときいてきた。

    はい。きょうが最後の埼京線です。今。詰め込まれます。と言って握手までした。じゃ、と、満員電車に飛び乗る。

    さあ、あしたからどうしようか。
  • 会社もあと2日
    会社もあと二日。明日面接でやすむので、最終日のみ。

    誰ひとり友達もできなかったが、やめるといったら義理で開いてくれた送別昼食会に呼ばれた、車イスのsさんは、唯一お世話になったあたたかい人。

    私より18下で生まれつきの障害で車イスにのっている。いつもにこにこしてとおるこえで一生懸命仕事をしている。

    おしゃべりさんだが、独り暮らしで全て自分でやっているらしく、しょっちゅう病気で休んでいる。

    私のお別れ昼食会に招かれて、普段あまり囲まれない女性たち四人に、結局お昼をご馳走した。

    だから、昨日、私が改めてお昼をご馳走した。

    年金は30になっても、奨学金の返済といって実家にとられるとのこと。

    ここで稼いだお金だけがたよりなので、これ以上休めないらしい。

    いくらなんでも、もっと楽な仕事があるんじゃないだろうか。少なくとも私は今までもっと車椅子にやさしい会社にいたのに。
    お昼が終わり、今や誰も期待していない私のレシート検索の仕事を物思いに耽りながらやっているうちに、今度の北海道の時計台コンサートのために、作らなければならないアメージンググレースの日本語歌詞の2番がやっとできた。
     

    1#アメージンググレイス、あなたのことを
    いつも信じているよ。
    たとえあなたが、自分のことを信じられぬとしても

     2#声にならない優しい気持ち、いつも届いているよ。
    他の誰かがあなたのことを想う気持ちも、すべて。

    3#いくあてもなく、疲れた人よ。いつも側にいるよ。
    見えないときも、聞こえぬときも、いつもあなたのそばに。
  • 脳の痺れ
    脳が痺れるとしかいいようがない感覚がある。

    仕事中眠くなって耐えつつ作業するが、何度も脳がしびれたような感じで一向に作業が進まない。

    興味のない映像を見たり、朗読などをきいたりすると、五分で眠くなり終わる直前まで寝てしまう。耐えられない眠気がある。

    昔一度、精神的にも疲れはてていた頃、忘れ物がひどく、忘れた、と戻ろうとして振り返った時には忘れている状態だったのでMRI をとった。

    異常はないが、前頭葉の血流が悪いことと、脳が乾燥気味なので、好きな酒を飲むときでも、お水の補給をしろと言われた。もう10年以上前の話だ。

    今は脳の検査するのが恐ろしい。コーヒーと酒ばかりのんで、水をあまり飲まない。

  • お別れ食事会
    一年三ヶ月いた会社もあと一週間。同じ仕事を担当したKさんが食事会を開いてくれる。

    いつも悩まない服だが、少しは明るめの黄色を選ぶ。

    本当はもっと打ち解けるはずだった同僚たち。

    何を話したらいいか、なにか午後の眠気覚ましのお菓子でもあげようかとか、考えながら電車に乗っている。

    最後になって仲良くなる、という会社のお別れの形をくりかえしてきた。

    なおこさんは、会社にいると違う人だ。といわれたことがある。

    テレビも新聞も見ない私だか、働き方について世の中の人と同じように考えている日々だ。
  • やりたいことがない
    昔から、したいことがなかった。子供の頃から、自分は将来、筵を引きずっているのではないかと恐れていた。結婚したりする普通の幸せは想像できなかった。

    中学ぐらいのときは、無気力無感動無関心で悩んでいた。ほんのまれに、健康的な問題意識がおこって、精神科にいってみようかと思うときがあったがその気持ちは長続きせず、そのまま高校に通った。

    ほんの少し、俳優の演技の真似をこっそりするのが自分は好きだなあと思った。私ならこんな演技をする、と想像して涙を流したりする。

    それで、演劇の専門学校にいき、劇団にはいったが、対人関係が苦手で、途中で生理がなくなったり、三年間斜頸になったり、過食症になった。、宗教にはまったり、しまいには酒を飲み過ぎ車イスになった。

    色々あったが、真面目に仕事をして、10年同じ会社に通い、取りあえず、人に慣れた頃、生きているのか死んでいるのかわからない気持ちになって会社をやめた。

    職業訓練校一年やって、学生時代をやり直せるのではないかとおもった。でも丸裸になってみれば、40代になってもやはり上手く人とやれなかった。

    デザインの会社にひとつ受かり、一年三ヶ月で、気力つきてやめる。

    車イス50女性。

    生きているか死んでいるかわからないから、お金をはたいてコンサートをする。一生にいちどの、東京オリンピックで。

    今、私には音楽パートナーのドンがいる。いつまでいっしょにやれるかわからないが、

    ドンは私のできない、人を動かすことができる。私にない底抜けに明るい人への信頼と、恐ろしいほどの行動力がある。

    私は黙々とことをすすめている。義務のようだ。夢や希望というより、低くギシギシいうエンジン音をならしながら、這うように進んでいる。

    きょう7月の会場はとれなかった。3人に協力を頼んだが、倍率は四倍。

    8月にかけてみよう。
  • 手首から血が飛ぶ想像、首を吊る想像
    手首から血が飛ぶ想像、首を吊る想像をする。

    自分を想像で何度も殺している。

    昨日も、ドンにひどいことをいった。優しいから八つ当たりした。他に言える相手もない。

    オリンピックコンサート会場確保はできなかった。なにもない日々がまた始まるのだろうか。
  • 社内引きこもり

    会社やめることにした。社内引きこもり状態だった。


    やめると決めて、元の職業訓練校から一緒の子に「やめることにした。」と言ったら「やっぱりね。何か不満あるの?」と言われた。

    きっと、いつも不満のありそうなむっつりした顔をしていたんだろうと思った。
     
    この大きな会社に契約社員で入って1年2か月。最低限のコンタクトしかとらなかった。令和変わり目の10連休も入る前日にドンから聞いて知り、会社のホームページを調べて分からず、休んでいいのか気にしながら休んだ。聞く相手も連絡先もなかった。
     
    満員電車、雨の日も台風の日も片道2時間かけて車いすで通ったが、会社も渋谷もそんなに嫌いではなかった。障害枠には珍しいデザイン職。太陽が当たる会社の周辺も、オリンピックに向けてどんどんバリアフリーが進んでいる環境も、悪くなかった。
     
    問題は会社にいるときの憂鬱だ。コミュニケーションを頑張るエネルギーがなかった。自ら引きこもり、自ら居心地の悪い空間を作り出した。

    いつの間にか、デザインを降ろされて、聴覚のおさぼり二人組と一緒に、レシート監査作業に回されてしまった。

    緩慢な自殺、というのがあるならば、自分はそれをやっている気がする。自分で気が進まないことを始め、それをやめたいがゆえに、わざと自らを窮地に追い込んでいく。

    自分が思った通りの不幸な展開。

    今まで何度も繰り返してきていたので、今回進歩といえることは一つだけ。決断が早くなったこと。とはいえ、6か月前の更新面談で、鬱っぽいのでやめるといい、止められ、カウンセリングまで受けて一度復活しているのだが。

    たぶん、自分で結果を作り出しているのに、決断できずに行動を先送りして、悪化している。

    車椅子、アラフィフ、会社やめます。
    まだ、幸せをあきらめません。


  • コンサートをやることにした。
    ボランティアで、琴や胡弓を演奏している。
    車イスで、アラフィフ女性である。

    今月会社をやめることにした。
    同時に500名のホールの抽選まちである。

    2020年7月と、8月に一回ずつ取る。勿論初めてのことだ。

    今までは、他に趣味がないことから必然的に、頼まれるままに昔とった杵柄で歌や琴を弾いていた。車イスになってから、女優にもなれないので、いつの間にか音楽に足を踏み入れた。

    最近は自分で楽譜を書いて演奏している。



    数年前から、オリンピックにコンサート、と口に出していうようになった。

    たまにしか言わないけれど頭にいつもあった。

    最近、ふと、想定していた会場の抽選日を見たらオリンピック期間は来月から募集だった。

    生きているか死んでいるのかわからない毎日。先は見えているので、今、元気なうちにやってみることにした。