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だから、私はコンサートをすることにした。

2019年、7月、会社を辞め、オリンピック開会式前日の2020年7月23日、調布グリーンホール。 オリンピック閉会式翌日の2020年8月10日調布たづくりホール確保した。 そして2020年3月24日オリンピック延期。新型ウィルスによる集会禁止。 一生に一度の地元のオリンピックで、外国から来た方に日本の音色でおもてなしをするという企画が、未曽有の事態によって、違う方向へ。 いつも最悪に見える人生のタイミング。運命は自分にいったい何を教えようとしているのか。 たった一人の音楽パートナードンとドンキホーテのように無鉄砲な企画に立ち向かう名もなき車いす。空を飛べるか。

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  • しんちゃんにでてもらおう2「本間先生」
    おもてなしコンサート しんちゃんの反応で書いた、しんちゃんのOTの本間先生に会う。

    会う前にしんちゃんから、TVで特集されていた本間先生の映像をDVDで渡された。







    しんちゃんはもうすでに誤飲防止の手術を受け、物を食べるために声を失っているが、このテレビ特集でててくる本間先生の仕事は、今、声を失おうとしている人たちの声を、声が出なくなった時の為に保存して声でコミュニケーションをとる準備をする仕事だ。パート1で今や直接聞くことのできない本人の歌が流れ、感動した。

    私は車いすになっても、しばらく車いすの訓練はしなかった。クラッチで生活できるようになるのではないかという気持ちがあり、クラッチでリハビリしては腱鞘炎になっていたものだ。でもALSではそうやって自分の将来を受け入れることができないでいるうちに進行し、気が付いたら歌も歌えず、声も出なくなっている可能性がある。

    特集に出てきた女性は、ALSの未来を受け入れ、介護されるときのことを考えて必要な言葉を録音する。子供たちと声でコミュニケーションをとりたいという願いが切なく、その笑顔がまぶしくて美しい。


    この仕事をしている先生が今度はしんちゃんのほとんど動かない手を使って、楽器を演奏させることが可能だというのだ。

    本間先生に会えたのは、しんちゃんのステイの1週間のうち、夜があいている火曜日だった。もちろんドンも一緒に行った。

    何か音の出る楽器を持ってくるようにとのことだった。

    道に迷いながらなんとかたどりつくと、しんちゃんママが迎えてくれ、先生は部屋で待っていてくれた。

    「こんにちは。早速ですが。」
    先生はテレビで見た通りの熱い男で、寸暇を惜しんで、しんちゃんが触るだけで音が出るという自作ソフトの説明を始めた。

    途中、マックのタブレットを見せ、「実はこんな簡単な方法もあります。」と言って画面の太鼓を指でタッチした。安っぽい太鼓の音だった。

    「こんな音でいいのかということですよね。」

    あっという間に、録音室に移動し、持ってきた音の録音を自ら何度も取り直して行った。OTの域を超えた仕事だ。

    「しんちゃんが舞台に立つというだけで、ぐっときますよ。」
    本間先生はしんちゃんにずっとかかわってきていて、しんちゃんのベッドに設置された触るだけのコールなども本間先生の作だ。しんちゃんママの話通り、先生は本気なのだ。

    部屋に戻って、今度は録音した音を使って実験しようとするが、途中でパソコンの調子が悪くうまくいかない。「あれ、すみません。あれ?こんなはずではないのになあ。」と言いながら、それでも全くくじけることはなく、パソコンを2台替えた末、最後はほっとした満面の笑顔だった。

    安心したついでに、他にも開発中の視線を使ってできることの実験をしてくれた。目をくりくりさせる様子など、さっきのあわて方を含めて、ちょっと笑けてくるのを我慢するのに必死だった。隣でしんちゃんママもこらえている雰囲気が伝わってくるからなおさらだった。

    最後は患者さんの為に、自分で楽譜を作り、パンチで穴をかけたオルゴールの楽譜を出してきて、聞かせてくれるのだった。

    先生は、「これで、すこし希望を持ってもらえたなら、これからやっていきましょう。」

    先生の作業を見ていて、本当にこのパソコン作業、できるかしら、という心配はあった。

    帰りにドンとたずねたしんちゃんの病室。朝から待っていたというしんちゃんは消灯まで、四季のビデオを見ていたらしく、枕元には四季の映像が映っているノートパソコンが置いてある。

    「しんたろう! 先生と直ちゃんがきてくれたよ。」

    ニコニコ満面の笑みで迎えてくれる。緑がかった蛍光灯の明かりの中、カーテンに仕切られたこの狭い病室で、ずっと打・GAKUDAN四季の演奏を聴いているのだろうか。この一週間のステイの間、何度演奏を見ながら、あのわずかに動く指先を動かしているんだろう。

    本間先生は失敗をものともしない行動の人だと見た。私もそれにあやかって、希望を持って行動したいと思う。
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  • 君が代の憂鬱
    Kさんがコーラスグループを手伝ってくれることになった。(2019/10/06君が代か。歌いたくないなあ。

    間違えなく良くなるので、有難いことだ。
    ただ、OKの条件は「君が代以外ならやりましょう」だった。

    ギターを手伝うといったSさんは君が代を編曲することが問題だということで、参加を保留。胡弓の師匠に至っては伴奏をしてもらえるかどうかの返事がない。

    私の「2019/10/03君が代を歌いたい」で言っていた「一緒に歌いたくなる秘策」企画は以下だ。

    1、 胡弓で前奏を入れた君が代を私が一人で歌う
    2、そのまま アカペラで君が代の輪唱から始まりこきりこが混ざっていき、どんどんこきりこが増えて最後はこきりこになる。(1~2分くらい)
    3、 幕が開いてこきりこの演奏が始まる。(かなり大勢で演奏する。)

    この企画の何が秘策かというと、二つの曲のハーモニーがいいことと、二つの曲の長さがほんの1小節違うため、どんどん輪唱していって繰り返しても全く重ならず増えていくことで、面白くなって自分も歌ってみたくなる面白さがあると思ったからだ。

    また、古今和歌集以前からある古い歌に、雅楽の曲をつけて国歌にしたという、どちらかというと身分の高い人々が伝えてきた印象の君が代と、そして歴史に名前の出てこない、庶民の労働や生活を歌った民謡の中で最古といわれるこきりこが、こんなに響きあって美しい音色になるという実験をしたかったのだが、いっしょに歌う人も演奏する人も見つからない。

    あきらめきれないのでPVのテーマ曲にした。

    ドンは、「やらない曲を使うのはおかしい。」といったが、君が代もこきりこも「日本の音色」(それも最古の)であることは間違えないので、一日かけて作った。



    少しすっきりした。

    いろいろな考えの人がいて、それを認めることを日本人はとても大切にする。

    そして、自分の属するもの、変えられない自分の根っこ、を愛することを、とても大切にする。

    宇宙も地球も人種も自分の性別も出身地も血統も否定することはよくない、と思われている。そのなかに国も入っているはずだが、国旗や国歌については大声で肯定できないことになっている。どちらかという否定する人の方が大声を出す。教えないとか、国歌に紙を貼る学校もあるらしい。

    今はそれほどではないのかもしれないが、否定の代わりに若い人にも根強く残ったのは君が代を歌うということへの気恥ずかしさだ。

    ラグビーのどこかの監督が日本を理解するために、さざれ石を見に行ったとテレビで言っていた。でもその監督はまさか、日本人でそれを習わず、歌えない人がいるとは知らないだろう。

    私は自分自身、オリンピックが終わったら、君が代を頑張って歌おうとは思わないと思う。歌っても歌わなくてもどうだっていいことかもしれない。でもあきらめきれずに練習している日々である。
  • サウジアラビアへの手紙
    ホストタウン、一番重要な調布のホストタウンにメールを出すことにした。

    それはどこか。

    サウジアラビア!



    最近即位の例で、頭に頭巾をかぶっているひげだらけの人々を見たが、調布でも、先日初めてサウジアラビアとの交流を役所前で行っているらしい。

    サウジアラビアで出てきた大使館のホームページのメールリンクから、以下のメールを作成した。

    ____________________________________________

    令和元年11月14日
    在サウジアラビア日本大使館広報ご担当様
                                         なおこの会代表 前田直子

    「日本の音色」コンサートのご案内送付についての打診について

    拝啓 日本では霜降の候となりますが、御国におかれましてはいよいよご清祥のこととお喜び申し上げます。

    私は、東京都調布に在住し、勤労しながら伝統音楽でボランティア演奏をしている市民です。
    この度、調布市とサウジアラビアとの間にホストタウンという関係があるということを知り、お願いがありメールいたしました。

    来年の7月23日と8月10日に我が調布にて、総勢80名程が集結し、グリーンホールとくすのきホールにて和の音色と各地の芸能を取り入れたコンサートを行います。
    さまざまな国の方が集まるオリンピックという機会に、私たちの練習してきた自国の音楽を披露し、日本への理解を深めてもらいたいと思っています。

    調布市、調布市教育委員会、調布コミュニティー財団より後援をいただいており、また、東京都byond2020に登録しています。
    まだ来年の夏となりますと、遠い先になりますが、初日はオリンピック前になるため、前もって日本在住のサウジアラビアの方々はもとより、オリンピックイベントの為に本国から日本に来られる方にコンタクトをとる必要があります。

    本国の観光協会やサウジアラビアのコミュニティーにチラシやホームページアドレスなどをお送りしたいと思っていますので、そういった広報物の送付先について教えていただくか、転送していただくことはできますでしょうか。
    また、いつごろお送りするのが妥当でしょうか。

    今後も続く、サウジアラビアと調布の国際交流を盛り上げることができれば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
                                             敬具
                        記
    日時・会場  2020年7月23日(木・祝)
    〒182-0026東京都調布市小島町2-47-1 調布市グリーンホール 大ホール
    2020年8月10日(月・祝)
    〒182-0026東京都調布市小島町2-33-1 調布市文化会館たづくり くすのきホール会場 

    特設ホームページ
    https://nihonnoneiro.com/
    ※随時更新予定

    byond2020ホームページ
    https://culture-nippon.go.jp/
    ※「日本の音色」で、検索できます。


    添付資料 仮チラシ

    =============================================================

    そして、ふと、送ろうとしているサウジアラビア大使館のホームページを良く見てみた。

    それは日本ではなかった。

    現地在住の大使館。

    ん?それ、いいんでない?

    日本の大使館でなはく、現地に行くのだ。現地にいる人が開会式より前に知ってくれれば、到着したとたんに調布に向かってくれる可能性があるではないか。

    でも、日本語で書かれたら読める人はもしかしたら大使しかいないんだろうか。この長文、えらく迷惑な話だなあ。

    まあいい。

    サウジアラビアに小さな地方のコンサートの宣伝をする人はどれぐらいいるんだろう。そして、それに興味を持つ人がいるんだろうか。



    海に手紙を入れた瓶を流すような気持ちで砂漠へメールを送った。
  • 開会式前日の調布グリーンホールに、全く見ず知らずの外国人を集客する方法


    表題の件、7月からずっと考えている。
    人に相談したり、自分でも無い知恵を絞っている。yahoo知恵袋に相談を書き込んだが、どこを見れば答えが見られるのかわからなくなってしまった。駅にポスター貼ったら?という答えにお礼も言わないうちに、自分の質問はうずもれていた。

    今のところ表題の件だけに絞るとこんなアイディアがある。

    1、国際交流協会に案内を置く。
    2、大使館に案内を送る。
    3、オリンピックに向けたイベントでの街頭演宣伝活動。
    4、各ホストタウンに案内を送る。https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/hosttown_suisin/gaiyou_dai1.html
    5、SNSを利用し英語で宣伝する。
    6、日本ツーリスト、京王観光などのツアーに組み込んでもらう。
    7、個人ツアーを行っている人とつながり、ツアーに組み込んでもらう。
    8、調布のホテルにポスター貼る。
    9、調布近辺の(外国人がよく行く)くるくる寿司、ラーメン屋にポスターを貼る。
    10、日本政府観光局(JNTO)のホームページに何とかのせてもらう。
    11、夏季合宿を受け入れる外語学校に資料を送る。
    12、エアR&Bサイトにつながる。(個人で宿泊場所を提供するコミュニティー)

    鼻息荒く書いてみたが、なるたけ、自分が英語を使ったり、国際交流をしなくていい方法に逃げている気もする。味の素スタジアムから流れ込んできた、陽気に酔っぱらって歌を歌っている巨大な白人たちを思い出す。あんな人たちがロビーに沢山来たら、見つからないように逃げ出しそうである。

    まあ、
    13、国際交流ボランティアに参加する。
    ということも考えた方がいいかもしれない。アラフィフの私は、やはり無意味にでも苦労しないと幸運がつかめないような気がしてしまうのだった。しかし英語なあ~! 今から?無理っしょ。会場を並んで取った時に知り合った、英語サークルの人はどうしているかなあ、なんて思う。

    1~12の中で、最後の8~12は、昨日団地の7階に住む米さんのニューヨーク在住の娘さんにかじりついて意見を聞いた結果、いただいた貴重なアイディアだ。

    困った時に頼るホテル、外人が好きなくるくる寿司、ラーメン屋、JNTO、夏季合宿の外語学校、エアR&B。外国に住んでいる人にしかわからないキーワードだ。

    そして私の周りの年上の人たちに勧められた大使館へ足を運ぶということ・・これは娘さんに却下された。

    外国にきて、何をしようかというとき大使館に行く人はいない。また、資料を置くという考えも、時代遅れになっている。みんな、ネットなのだ。わざわざ資料を取りに行く時代じゃないんだ。

    私たち車いすには、ありがたい時代かもしれないが、年配の友達から言わせると、車いすで行くからみんな協力してくれるんだ、という。昔の人からは苦労すること、直接話すことを勧められる。

    本当に動かないで、メールはSMSから求めてくるつながり情報のいかに多いことか。今まで避け続けていた世界に足を踏み込み始めた私は、自分のペースがかき乱される。この数年ほとんどテレビを見てもいないのだ。

    自分のやり始めたことのため、私は目を開け、耳を澄まさなければならないよう、追い込まれていくのだった。
  • 劇団カクスコ 井之上隆志 
    18から東京に出てきて演劇の勉強をしていた時期がある。その頃はもちろんまだ車いすではなく、よく下北沢や新宿などあらゆる小劇場で芝居を見ていたものだ。好きな世界を、所属したいと思える場所を探していた。そして見つけたのが「カクスコ」だった。



    「角型スコップ」からきた劇団名だが、とにかく好きだった。6人の男たちが一つ屋根で生活する何気ない日常の一コマ一コマを、ユーモアと落語のような小気味いいテンポの会話で見せ、大きな事件もドラマも起こらないただの日常が、本当に暖かくていとおしく感じてしまう芝居だった。

    劇中でさりげなく歌うアカペラのコーラスは劇団の勢いそのままにエネルギッシュで、魂がこもっていて感動させられた。14年の活動期間の中で人気はうなぎのぼりで、テレビでも放送されるようになり、新宿TOPSでの公演のチケットはいつも完売。当日券も長蛇の列を作った。

    私は好きなあまりに知り合いの知り合いであったカクスコのメンバーに会いに行って、入れてほしいと頼んだが、女性は入れる予定はないといわれてすごすご帰ってきた。カクスコの芝居に女性は一人も出てこないのだが、どうしてもあの世界の一員になりたかった。

    解散したのが2001年だった。あのカクスコの芝居をまた見たくて、ニコニコ動画会員になったことがあったが、今日YouTubeにもいつの間にか沢山アップされていた。

    カクスコで一番好きだった井之上隆志さんは、今どんな活躍をされているのか久しぶりに調べた。すると、なんと2017年56歳、癌でなくなっていたことを知った。

    https://www.sankei.com/entertainments/photos/170308/ent1703080009-p1.html

    そういうわけで今日はカクスコの最後の公演を見ながら、改めて彼らの芝居の世界に浸ってしまった。心が暖かくなった。



    カクスコは自分の青春だったと思う。会ったこともない井之上さんが大好きだった。きっと仲良くなれたのではないかと思う。カクスコには遠い知人がいたのであの時、会うことはできたと思う。

    手の届かないような人でも、死んでしまうと同じ時代に生きていたんだから、どうしてあってみなかったんだろうと後悔する。

    柳家小三治に調布グリーンホールの駐車場であったことがある。あの時はものすごい勇気を出して、「素晴らしかったです。」と声をかけたら、一度座った助手席からわざわざ降りてきて「ありがとうございます。」と頭を下げられた。忘れられない思い出になった。

    宮本亜門にも生きているうちに一度会っておかないと、まじめに思ってみる今日だった。
  • ワールドカップパブリックビューイングでの街宣その2 本日は三人 
    一週明け、また街宣行う。

    今回はドンは笛のお弟子のYさんを連れてきて、チラシまきを手伝ってもらった。

    Yさんは結構街宣が気に入ってくれたらしく、「今度三味線で、西馬音内盆踊りやります。」と言ってくれた。街宣も賑やかになると楽しくなる。





  • ワールドカップパブリックビューイングでの街宣その2 本日は二人 
    街頭演奏。ドンを誘う。

    ドンが「本当かよ。」と驚く中、私は警察の斜め前で、準備を始めた。

    もともと、頼まれればどこでも笛を吹く笛吹き童子のような男だ。うまく乗せればやってくれる。ただ不安材料は一つだけ。

    警察に注意されないかということ。

    ドンは前、響きがいいという理由で、競馬場の前のチケット売り場あたりでよく笛を吹いていて、警備員に注意されたり、江戸博物館の屋上で笛を吹いて警備員に注意されたり、こっそりたてもの園の銭湯のなかで笛を吹いたりしているが、やはり警察はこわいらしい。

    「昨日は警察はこちらを見てリズムをとりながら去って行ったよ。」
    というと、しぶしぶ吹き始めた。

    私の小さいスピーカーで拡声された音は素晴らしかった。

    昨日と違って、すぐに黒人さんがじっと聞き入り、千円を渡しに来た。

    「No,No・thank you!」
    私はお金を断ってチラシを渡した。にこにこ笑っていた。

    人の食いつきが違う。

    私は胡弓を持って食い下がるが、彼は顎でチラシを指す。
    仕方ない。チラシ配る方に専念しよう。

    一時間ぐらいでドンは去って行った。なんとなく手ごたえは感じたようで、ほっとした。

    今年チラシをまいても効果はないが、今回のパブリックビューイングは来年のオリンピック期間のリハーサルなのだ。

    残った私は、本日の日本の試合を、残って駅前大スクリーンで見上げていた。

    勝ったら君が代を弾きまくろうと思っていた。

    とにかく君が代を演奏するということに馴れなくては。だが君が代をひくタイミングを間違えるとその場から浮いてしまうという恐怖がある。特に私は車いすで、雰囲気もドンのように明るくないので、かわいそうな人に見えて、避けられるという可能性は他より高い。自分の中でスイッチを入れないといけない。

    ものすごい応援。かつてない躍進だった日本。決勝まであと一歩。しかし……。結果は南アフリカの前に崩れ落ちた。

    本日が最後のワールドカップ日本戦。

    負けても弾くべきたったかもしれない。終わって即座に始まった止まらないで進んでくださいコールの中、私は逃げるように帰りの列に加わった。

    街頭演奏で昨日一歩の前進をしたが、君が代の演奏については、まだ高い壁がある。どんなことでも怖気を突破する一歩さえ踏み込めば、当たり前の日常になると思うのだが…。

  • ワールドカップパブリックビューイングでの街宣その1 たった一人
    正直言って、外国の人との接点がない。

    オリンピックに調布は外人さんだらけになっているという漠然とした認識だけはあるが、とてもしゃべりかける勇気はない。

    だが、行かねばならない。あと3週でオリンピック前唯一の外人さんとの遭遇のチャンスは永遠に失われてしまう。

    と、一人胡弓と大量のチラシを持って、この1か月間特に寄り付きもしなかった噂の調布のパブリックビューイングに行ってみた。



    まず、胡弓の糸を買おうと思い行った和楽器店の前の道の行列に驚いた。

    中心からちょっと離れた住宅街に近い道、いつもは地元民しか通っていない道に緑のユニフォームの列が!!。みんな、テイクアウトのお店に並んでビールを浴びるように飲んで、ひたすら盛り上がっている。試合前にもう出来上がっている。




    楽器店のAさんも驚いていた。「ネットで調べるのかしらね。」

    あとで知ったが緑のユニフォームは今日試合があるアイルランドの人たち。
    どうもこのあたりの店がアイルランドの人たちの見るインターネットのページで紹介されているのだろう。他の地元で人気のお店はいつも通りの日本人でのどかなものだ。

    アイルランドの人は人見知りだということを知っている。結構身内で固まり、外の人には心を開かないのを、中国で目撃した。

    でも、私はわくわくしていた。ひとりぽつんと恥ずかしいという想像をしていたが、駅前はとにかく出店やいろんな外線音楽でにぎわっている。こんなにわさわさしていれば、どさくさに紛れて楽器の演奏をしても恥ずかしくもないわ!

    というわけで、肝心な時にはいつも切れている胡弓の弦を張り直し、一番目立つ警察や出店会場入り口で胡弓を弾き始めた。

    警察に注意されるかも、と恐れていたが、私の演奏に合わせてリズムをとりながら、通り過ぎてゆく警察。

    べつに恥ずかしくないじゃん。



    通る人の方が恥ずかしいから避けていくのかもしれないが。しかし勇気が出た一因は今日はアイルランド戦だから。私はアイルランド音楽が大好きで、胡弓で「サリーガーデン」と時計台で演奏した「ユーレイズミーアップ」「アメージングレース」を弾ける、とにかく弾きまくっていれば歓迎の印になる。

    そうこうしているうちに、試合はどちらが勝っているのかもわからない歓声の中で盛り上がり、胡弓を弾いている図があまりに浮いてしまったので、試合が終わるまでと思い、ラーメン屋に避難。ついでにビールなど親父のように飲んでしまった。

    その間胡弓の弓を二つに解体せず差し放しにし、入り口でラーメンをすすっているとき、ふと、後ろを通った人が、私の弓に引っかかったらしく、「あ、すみませんです。」と言いながら、出て行った。

    おお、そのあとだ。弓が折れているのに、気が付いたのは。

    自業自得ながら、総額6万の弓だ。GOD!



    ラーメンの手を休め、「おれてるじゃん。」とうつむく私。涙目だった。コンサートのため、今まで一番安い花梨の胡弓で何年も頑張った末、ついに買うことにしたばかりの胡弓25万。これに弓が加わると30万となる。

    しかし、涙をぬぐい、私はまた駅前に向かった。布テープをコンビニで買って弓をつなげてみる。ふと気づくとぼろ負けしたアイルランド人が大量に動き出した。終わったらしい。

    よし、今こそ、国際親善だ。

    私は一人、ひたすらに「サリーガーデン」と「アメージングレース」と「ユーレイズミーアップ」を、弾きまくった。わたしも30万を失なったのは辛いが、アイルランド人は、きっとそれぐらいの交通費をかけてここまでやってきて、スタジアムの券を買うお金もないかもしれない中の、パブリックビューイング。そして、今夜は日本最後の夜なのかもしれない。



    通り過ぎてゆく緑ユニフォームたち。人影もまばらになり、疲れて帰ろうかとする頃、なぜか「Lisson!」と、胡弓を弾く私を指さして集まってきて、突然私の近くで、でも特に私に声をかけるでもなく、並びの花壇で記念撮影を初めた一団があった。

    なんだ、別に私の胡弓をリッスンじゃないのかあ、とおもったら、突然こっちを向いて一人が頭を下げて、手を合わせた。

    私の「サリーガーデン」が通じているんだ。と思った。国際親善成功。

    だから私は、サリーガーデンが終わるとひたすら「アメージンググレース」弾き始めた。人見知りのアイルランド人の為に。

    すると一人、どこかの仲間からはずれて携帯をいじりながら、一人の緑ユニフォームの女性が、こちらをちらりと見たと思うと、そのままちょっと離れて座った。

    そしてそのままこちらは向かず、じっと座っていた。

    座っているからにはやめられない。私はずっとたいしてうまくもないアメージングレースを弾きづづけた。でも、12月にたづくりの小さな音楽会に呼ばれて演奏する予定なので、木場先生のしかめ面を見ながら練習している曲。

    弾き終わった時に人見知りのその若い女性はにこっと笑って近寄ってきて、「Wonderful!」といって何か差し出す。

    じゃり銭だった。多分価値がよくわからない一円やら五十やら十やらじゃらじゃらしている。

    私は「NO、NO」といって、チラシを差出し、「Please Come back Japan,Next Year .」と恐らくそのように単語を並べた。

    「Oh、Orimpic!」

    本日たった二組との国際親善。成功。
  • 赤毛の坊主になる

    最近髪を赤毛の坊主にした。そんな気分だったからだ。

    不思議なことが起こった。

    今まで、自分の姿を想像すると、なんか灰色イメージだった。いつも人に見られないようにこそこそしているイメージ。人と顔を合わせないイメージ。

    ところが赤毛の坊主にしたら、自分を想像したとき、カラーで思い浮かぶようになった。キラキラして色白で、いつもにこにこしていて、活発で近寄りやすい車椅子の女性が思い浮かぶようになった。


    鏡で見る自分より、想像する自分がすごくいい感じ。鏡を見たら、あれ、やっぱりそんなにきれいじゃないや、と気づく。でも落ち込んだりしない。鏡を見たからって、想像の姿のグレードが下がらない。自分の姿はいつも見えなから、自分はきらきらしているんだ、と思って街を動き回るようになった。

    不思議だ。中身が変わったから赤毛の坊主にしたくなったのか、赤毛の坊主にしたから中身が変わってきたのかわからない。

    でも、地味な性格を変えたくて…みたいなところを人に見せたくない、という屈折した考えがあって、素直になれなかったが、こういう姿にしたい、という願望に素直に従うことはとてもいいことだと実感した。


    髪を切ってくれたのは、町田のLUMの店長。LUMは、わたしにとっては最高の店。


    https://minority-inc.com/lum/


    居心地のいい場所が自宅以外にほとんどない私の、珍しく癒される場所。

    LUMでかかっている音楽は私好みの癒し系女性ボーカルが多い。髪を洗うスペースは暗くなっていて、壁にいつも変わった映画を映している。そこは別の音楽が不快でない感じで重ねて流れている。不思議な感じ。頑張っていないのに普通にアートな空気が流れる。

    店長は穏やかさの極致で、にこにことただ嬉しそうにお客さんと話し、好きなように切ってくださいというと嬉しそうに、遠慮なく、本当に好きなように切ってくれる。その嬉しそうな姿が見たいので、店長にはなるべく注文しない。

    切っている間、アフリカ人とおなじように裸になって、アフリカをかっこよく写す女性カメラマンのこととか、マイケルジャクソンが東欧が民主化したときの最初のライブ、バタバタ倒れるやつとかおしえてもらったり、音楽とかのことも教えてくれる。私もいろいろ語ってしまう。

    この店長、昔はコンビニ弁当ばかり食べて倒れたことがあるらしいが、今は美人の妻と子供を養い、アートでアースでローカルでおしゃれなお店とのコラボをしながら、なんか地場産業・とか地産地消とか、よくわからないが、そんな、安定の人生に踏み出したようなふりをしている。というか自分でもそうだと思い込んでいる。

    でも、もしかしたら、突然にこにこ笑いながら、どこかに放浪の旅に出て帰ってこないんじゃないだろうか、とひそかに想像したくなってしまうような男だ。

    赤毛の坊主にしに来たと言ったら、店長は、「なかなか、坊主のオーダーはないですね。楽しいです。」と言って、意気揚々と、あっという間に赤毛の坊主にしてくれた。

    ただ、店長流に、こめかみの毛の束を白のグラデーションで脱色してある。

    鏡にうつった店長と二人で記念撮影した



  • 天の怒り? 天変地異
    台風19号が接近している。最大級の台風に、ホームセンターもヨーカドーも長蛇の列だ。

    ドンが、「なんか、やばいよな。」といった。つまり、気象がおかしいということ。

    ドンはいろいろなことをあまり心配しない。私が心配しているときはいつも合理的理由で一刀両断される。だが、ドンが「やばい」というときはたいていやばいので、私もやっぱりやばいのかと思った。

    天が怒っている?

    私たちは今、安全な家の中で、テレビを見ながら、平和なバラエティー番組の合間に、気象衛星からの映像を見ることができるので、台風に対しても上から目線である。「君が来るのを知っているよ」、「君が何でできているのかも知っているよ」って具合だ。だが、本当に台風について、私たちはわかっているんだろうか。

    映像がない時代の人は台風を天の怒りだと感じていただろう。台風は上から見られるようになりました。だから天の怒りではありませんといえるのだろうか。

    私たちが作ったわけでもない人間は、他に類を見ない頭脳を持っていて、宇宙へも飛び出し、さらに、頭脳をもってしても説明できない直感などの能力を使って、なにか「やばい。」ものを感じたりする。

    最近、「やばい。」を敏感に感じ取った、スウェーデンの高校生環境活動家グレタ・トゥンベリさんに対する批判をネット上で目にするようになった。

    その心理はわかる。私も最初、睨みつけるような目で、「私たちは、あなた方を許さない。」と牙をむく彼女の演説を見た時は、「なんで、あなたにそこまで批判されなくてはいけないの?」という不快感を感じた。つまり、責められているのが自分であるような気になったわけだ。

    責められたので、あなただってこの便利を享受している、世界に守られている一人の子供にすぎないでしょうに。と言いたくなった。

    でもよく考えると、私が子供の頃、こんなに資源は無駄にされていなかった。さらに、江戸時代になると全てのものはリサイクルされ、自然とうまく調和していた。本当にこの100年ぐらいの間に沢山の資源を食い尽くしていることを考えると、彼女達子供は確かに被害者であり、攻撃されている加害者は現代の大人なのだ。

    昔、「やばい」と感じ、フランスを救おうとしたジャンヌダルクは、狂信者として火あぶりにされた。軌道を変えようとする先駆者はいつも苦難の道を歩む。

    もう一人、「やばい」を早くから感じて環境破壊を止めようとして、志半ばに力尽きて亡くなったビッグアーティストを思い出した。

    マイケルジャクソンだ。

    2007年、彼はロンドンでファイナルツアーの直前に突然亡くなった。ツアーで一番のメインは「アースソング」。これは突然マイケルに下りてきた曲だったという。彼は自然破壊によって、自分の後の世代が受ける苦難を心から危惧していた。

    彼はファイナルツアーで「アースソング」を以下のように演出する予定だった。
    ※幻のファイナルツアー前の3か月のリハーサルを追ったドキュメント「this is IT」より

    舞台背景のスクリーンには愛らしいの少女が出てきて、花畑の中で眠りにつく。場面は変わり、森はブルドーザーに破壊され、一面の焼け野原になる。少女は眠りから覚め、緑の植物を守ろうとして、振り返ると目の前に巨大なブルドーザー。そして舞台は炎に包まれ、スクリーンからブルドーザーが飛びだしてくる。「これは、決してハッピーエンドじゃない。(マイケル)」

    随所にマイケルのコメントが流れる。

    自然は必死になっている。人間の不始末を埋め合わせようと。
    地球は病んでいて、熱があるんだ。今でなければもう治せない。
    今が最後のチャンスなんだ。
    僕らは暴走列車。
    今こそその時
    みんながこう言う。
    ”誰かがやってくれる”と
    誰かって?
    僕らから始めよう。
    でないとなしえない。

    そして、リハーサルの終わりに、本番を控えたメンバー全員が輪になって手をつないだなかで、マイケルが皆に伝えたメッセージ。

    皆愛している。
    僕らはファミリーだ。
    世界に愛を取り戻そう。
    愛の大切さを思い出させるんだ。
    互いを愛すること。僕らは一つだ。
    そして地球を大切に。
    4年で環境破壊を止めて地球を守ろう。
    ぼくらが伝えるのは大切なメッセージだ。
    みんなの協力に感謝します。

    そして、そのあと、本番目前にして、彼は力尽きてしまった。
    10年以上前の話だ。



    ところで、この1か月ぐらい前から朝の1時間お掃除を始めた。89歳のお年寄りを手伝おうとしたのがきっかけだったが、今までボランティアで掃除なんて、定年して暇にならなければやらないと固く思っていたし、人目が恥ずかしかったが、勇気を出してやってみると一日で慣れてしまった。

    サルが一匹、芋を払い始めて、長い年月の間に、少しずつ芋を洗うサルが増えていき、ある割合まで増えると、あっという間に世界中のサルが芋を洗うようになるという話を聞いたことがある。

    私がボランティアで掃除を始める段階は、もう、世界中の人が環境破壊について行動を始めるちょっと前の段階のような気がする。

    だから、希望は目の前にある。